くうちゅうくらげ

-A Boys Named No.28-

2011年は。

はい、どうもみなさんあけましておめでとうございます。
本年1発目なので、さくっと短くいこうと思うんですが、なんだかんだでだらだらと長くなりそうです。
まぁそれも俺流ってことで。
っていうかこのテキスト書くのに珍しく4日とかかかった。
本当は1日に初詣から帰ってきてから書こうと思ってたもんだ。

とりあえず今の話から。
やっと家に帰ってきた。
今は何日の何時で何曜日ですか?
えっと確認したら1/5水曜日の午前9時ですね。
俺は1/3になった瞬間の午前1時からずっと仕事していたのでちょうど今で56時間ってことになりますね。
本当は昨日は休みだったんですけど、シフトに人は全然いねーし俺もやることねーしだったので残業に残業を重ねてこんな時間ですね。
でも何故か俺は元気ですよみなさん残念でしたっ。

すげー疑問なんですけど、どうしてこんなに働いたのかな。
それになんでまだこんなに元気なんだ?
昨日出たせいで休みなくなったから、起きたらまた速攻で仕事だぞ。
なにやってんだ。
職場では人間サイボーグって呼ばれてますが、なんか日に日にやつれてはいってるみたいです。
いい感じに。

なんか今日1日考えていたんですけれども、普通は24時間とか起きてたら意識朦朧としてくるじゃないですか?
でも何故か自分に至ってはそれが全くない。
驚くほどない。
つまりいきなりぶっ倒れて搬送されるくらいまでは元気に頑張れるってことなんでしょうか?
それならそれでぶっ倒れるまで社会にコキ使われるんで良く見ておいてくださいよ。
ってな感じでやってたんだけど、実際に倒れることもなく時間だけ経過した。
今日も死ねなかったか、残念。

で、何をそんなに死ぬほどまでにモチベーションにしてたかって云うと、何もなかったのです。
人生に意味なんかないので。
んーと、たとえば出勤するちょっと前に六本木駅の階段でつまづいたんですよね。
もしそこでつまづいてなかったら車に吹っ飛ばされて、俺の人生さよーならだったんかなぁとかカオス理論めいたこと考えたりしたんですけど、まぁ実際は吹っ飛ばされなかったんで世界はまだ俺の存在を赦してくれてるってことか。
いやほんと身に染みてわかってるけど、1秒1分で人生変わるからな。
「10年後?10分後のことだってわからない」っていうのは俺の常套句だ。

まぁその辺の話はいいや。
あえて云うなら、これから懲りずに睡眠時間を削って映画観て泣く予定だ。

とりあえず今年は初詣にちゃんと行きまして、祈願してきたり、金投げたりしたんですけれども。
神様とか信じていないし、なんだか恒例行事に巻き込まれた感じで若干シブってたんですね。
なんでわざわざ1月1日じゃなきゃいけないんだ。
3月1日でも6月15日でもいいがな。
とか思ってたけど、行ったら行ったでなんだかんだ楽しんだな俺。

今年の目標とか立てました?
俺はなんか未だに2010年気分が抜けなくて、年明けしたはいいものの何も実感がないのでまだ思い浮かびませんが、とりあえず月に10日は自炊を頑張ってみようかなぁってことだけはおととしに決めました。
そうだ、後は1年3ヶ月も通っているのに未だに取得できていない普通免許を取ること。
あれ不思議すぎる、なんで取れないんだ。
行ってないからか。
あと信号無視をするからだ。


あぁそうそう、今年は知人の飲み会にも最低2回は顔を出そうかなって思ってます。
俺とか参加しても楽しくねーだろ。
てか酒飲まないし。
隅っこで膝抱えて体育座りしているのが関の山ですよ。
それかどもって何も話せないか。
達者になって説教ばかり展開するか。
そんなのやだ。
人間は怖いです。

うーん、とはいえ、死ぬまでに会っておきたい人っていうのは数人いるんですけれどもね。
たとえば俺が今年中に死ぬとしてだね。
となれば、今年だけが勝負じゃないですか?
でもそれは約束されていないので、死ぬ気で会うわけにはいかないじゃないですか。
なんだかんだで生きてるし。
まぁ「俺明日死ぬから会っとこう!」なんて云っておけば同情なんかで話してくれんのかもしんないですけど、実際死なねえからそういうわけにはいかないしねえ。
でもまぁそういうのは去年でケリついたかな。
なんだかんだで絶対な人には話をしてきているし。
これは男にも女にも共通して云えることです。
会いたい人にも会えませんねーってこないだのエントリでも書いたけど、まさにその通りだと思いましたよ去年も。
だから今年の目標の最たるものは、無理なことをちゃんと無理だと自分で把握することでしょーか。
そういえば何度も書くけれど、俺が往年「恋」とか「君」と書くのは必ずしも異性に対してではない。
これは何度も書いているものだけど、それだけで誤解されるのはうんざりだ。

そういえば、人間1人じゃ生きれないとか良く云いますけどあれって実際どうなんでしょう?
どっからどこまでが1人というのかは良くわかりませんけれど、まぁ俺なんかは特に親しいヤツもいないけど金稼げる場所があって、家は寒くもなく暑くもなくて、食えるもんがある、そして服とかいらない。
誰も見てなければ俺が全裸でも半裸でもどうでもいいですがな。
ただまっさらな1人って云うと、映画は誰が出ているの?エアコン作る人いないよね?とかそういう話になってしまうから、自分で野菜育てたりしないといけないのかなぁーって中々面倒だけど、それもそれで結構楽しめるんじゃないかと思った。
逆に2人とか3人の方が生きれなくないか?
野菜とか巡って殺し合いとかしなきゃならんですよ。
友達とか恋人とかいればいいなーとは思うけど、あくまでいればいいなーと思うくらいで絶対ではないと思う。
だって俺の物語は俺が進めるしかないもんね。
他の人は俺に代わってくれないし。
神様いないし。
つまり、余分なものは消えていくだけです。
だから愛をくださいとか誰もくれねえって。
ここになけりゃそこにもねえんだって。
自分で書いてて何だけど相当ひねくれているな俺。

こっからが書きたいことだ。
それはね、テキストについて。

去年はね、俺は良く「人は何がどうあっても自由であるべきだ」ってコトをやたら書いてたと思います。
何も後悔しちゃいないし、事実だと思ってる。
「人は何がどうあっても自由であるべきだ」
社会の束縛や他人の目線をなくせば、完全に自由だから。
俺がどこでどう死のうと勝手だし。
誰がどこでどう生きようが勝手だし。

でもなんでそう思ったかって色々と考えてみたんだよね。
4日もかかったのはここから下の文章。

えっと俺はどこかしらで、完全に見放されたい。
と思っていたんだよね。
誰かを傷つけてひどいこと云ったりやったりしてればそのうち見放されるかなぁーって。
そうすれば社会から離脱してラクになれんのかなぁーって思ってたけど、実際はそうはいかなかった。

愛をくださいって思うなら、手を伸ばさなきゃ貰えない。
個人差があるとは思うけど、手を伸ばしても、ほとんどの確率で貰えない。
「俺は無条件で愛されない世界が嫌いだ。だから、消えてしまえばいい。」
やっぱり失ったものは戻らないし、そんなことを考えてるウチにもう俺は消えたかったんだよねー。
あ、9月頃にmixiを一度やめたときもそんな風に思った。
せめて、他人の記憶の中だけでも俺って存在が消えてくんねーかなーとか思ってた。
今でもその残骸は心のそこかしこに残っていて、たまにすげーカジュアルに「きえてー」とか「銀河の果てまでとびてー」とか思う時もある。
でもいつも何かが引き止める。

冷静になって考えてみた。
「自由」と云うその言葉は、俺が逃げる口実に使っていたんじゃないかな?
そう考えたとき、きえてーとか一番思った。
「自由」というのは、逃避する場所ではない。
そして、それは俺の大好きだった人が大好きだった言葉だったんだよな。
ごめんな、と、うん、なんだか泣きそうな気分でそう思う。
引き止めた誰かはまさに誰かなんだけど、その誰かを特定して云うことは出来ない。
その誰かは、引き止めたとは認識していないと思うし、まぁそういうことなんだろう。
だからこそ俺は今年から死ぬまでの人生を全て賭けて、ホンモノの自由を手に入れようと思いました。

まだ答えは見つからない。

俺はまともな人間になれるのかなあ。
何の長所もない等身大の自分が自分であること。
それが大切で。
ただ自然体に、気ままにいこうじゃない。
だって人生に意味なんてないんだから。
意味は自分で見つけよう。
10年後?10分後のことすらわからない。


まぁ書いてあることってのはすげーどうしようもないことなんですけど、それでもこんな俺を良しとしてくれる人もちゃんと存在するということが去年は良くわかったんですよね。

今年も俺はきっとちゃんと「話せない」ので「書く」ということはやめないと思いますね。
俺は俺のスタイルで死ぬまで生きてやります。

ようこそ2011年、俺の美しい宇宙へ。
そして、今年もよろしく。