くうちゅうくらげ

-A Boys Named No.28-

The ride's over,did you enjoy yourself?The ride's over,fairing well?

昔の写真なんかを見ながら、少し考えていた。
俺はどうも良い思い出はしっかりと思い出せるらしいのだが、悪い思い出はすぐに忘れる。
ここでの「悪い思い出」というのは、自分にとって「都合の悪い」思い出の事だ。

実際に「被害者側」の観点は鋭いものだ。
俺からしてみたら良くそんなこと覚えているなって云うことを良く憶えている。
この間友達に指摘されたのだが、俺は自分が思っているよりも酷いことをしてきたらしい。
それこそ数年前に一度地元を出てからは色々な人と疎遠になったのでそれ以前の話になるのだが。
別に昔の事は昔の事、と割り切る俺にとって「あの頃お前がこうしたからこうしてやらない」という条件は非常に(勝手に)腹が立ったりもする。
まあ自分勝手だが。
だからといって、知らなくて良いことは知らなくて良い、とはよく云うものだがそれはそれで寂しい気もするという複雑な心境だ。
だが過去を持ち出して「謝れ」というのは違う気がする。
その時に云えなかったら負けなんですよ、と云いたくもなったりする。
そこまでズルズル引っ張る人間もそう多くはないわけだが。

この年になってようやくわかることというのはたくさんあると思う。
「あの頃はあんなことしちゃって悪かったなあ」ってやつだ。
だけど、過去の自分は過去の自分として、今の自分と直結しているのだろうか。
変わった部分、変わらない部分、たくさんあるだろう。
その全てをひっくるめて「個」として成り立った瞬間、過去は関係ないのではないだろうか。
俺はそう思う。

いくら過去を清算しようと思ったってそれには限度があるってことだ。
自分がとても心残りに感じていたようなことでも、相手は憶えていない事すらあるだろう。
「昔、あなたがこう云ったんでこう思ったんですよ」なんて云われた所で仕方ないわけだ。
好意的な意見だったらともかく、その逆なら別に今更云う必要はないだろう、と。

それでここまでをまとめると結局自分は、「いいことは教えて欲しいけど、悪いことは放っておいてくれ」という極端なワガママヤロウだと気付くのだ。
しかしだからといって、わざわざ昔の悪い(自分にとって「都合の」悪い)話を聞かされていい事なんてなかろうが。

過去は過去、今は今。
昔どんだけイヤなヤツだったとしても変わる人はたくさんいよう。
だから昔のことばかり引きずっても意味無いってわけ。
まあ俺自身こんな感じの人だから根本はわからないけどね。

見直してもないし、感情の起伏だけで書いたから全くまとまりないけど。