くうちゅうくらげ

-A Boys Named No.28-

深海より、己への誓約として。

俺の生とは果たして。
30秒後にある“かも”しれない閃光を見るためなのか。
青春時代の負債を完済するためなのか。
前者であった場合、もう死んでいても良いでしょう。
閃光なら何度も見ているのですから。
ならば後者のためなのか。
その閃光を見たが故の、贖罪なのでしょうか。
とにかく、俺はもう一度、その閃光を見たがっています。
ならば、それはそのまま生に対する怨憎へ。

長年の友人が突然、俺に「しにたい」を告げたとき、確かに幽玄なものを感じました。
そして自分は「自分もかなしく、同時に君もかなしい」ということに対し、憎たらしく心弛びしました。
お互いに独りであったことに。
そして蜿きながらも、それぞれの路を一歩ずつ踏みしめていかなければならないことに。
孤独であった瞬間に、俺たちは無二の友人です。

そう、人生が悠久に楽しいことなど、有り得ないのです。
散々に渡って彼に対して浴びせられた数々の「醜さ」が、俺には「美しく」見えました。
そして残念ながら、孤独知らずの人間に美しさはないということを、自分の中に齎したのです。

俺は極微であれど、神ではないか。
自分には自分が正しいと思った行動しかできない。
良かれ悪かれ、決断という名の選択をする機会を与えられました。

元来、自分は、良いことがしたいのでもなく、善いことがしたいわけでもありません。
好いことをしたいと思うのです。

いつしか決断していたのです。

無に帰すことは前提として、延々と蟻集するサークルの中で、悠然と己を咆哮することを。
目に見えるものよりも感じるものを信じることを。

そして自分のしていることは、誰かにとっては圧倒的に精美で正しいはずなのです。
間違いですらも精美で正しく、愁傷ですらも精美で正しく、孤独ですらも精美で正しい。
自己欺瞞ですらも自己憐憫ですらも、正しい。
他の何を掠め取ってやったって。
その「正しさ」に対して率直であることが、己の欲望なのです。

そして俺が神であるならば、あなたたちも総別、極微な神です。

30秒後に、閃光を見るか、失意を見るか。
それは常に世界中の極微な神の決断次第なのです。

そんなことを考えながら、薄ら笑いを浮かべています。
酒のせいかもしれません。