くうちゅうくらげ

-A Boys Named No.28-

副作用は未だに抜けず。

 僕は腐ったな。そう思った。

 昨日、女を買った。(こういう表現もおかしいとは感じるが)それも、「腹減ったしメシでも食うか」そういう気持ちに近いほど些細な感情で。心の隅では、下心だったのかもしれない。また、慰めて欲しかったのかもしれない。そうして欲を発散させてもらったわけだ。非常に不器用な、本能的にはとても人間的なやり方で。

 そもそも、僕は見ず知らずの女に何を慰めて欲しかったんだろう。何から救ってもらいたかったのだろう。QすらないのにAを求める。僕のやり方ってそんなんばかりだ。酒に溺れていたわけでもない。なんでだろう。確かに要因の一つかもしれないが、温もりだけが腐乱する原因というわけでもないらしい。

 

 〈何もかもうまくいかない。何もかも。また煙草の本数も増えてきたー〉こういうものは書いているだけで気分が悪い。〈じゃあ書くなよ〉むしろこれがただの「僕って可哀想だよな」の表現でしかないのだとしたらどんなにマシだろう。とにかく気分が悪い。信号が目の前で赤になることも、なかなか見つからない好きな作家の新刊も自分の視力が悪いことですらも。

 これが「老い」のせいなのかと云うとそれもまたわからない。僕はたぶん恋をしない。そうなってくると僕の存在意義というのも非常に希薄なものになってくる。夢も叶えられず、仕事もせず、大事な人も好きな人もいない-

 

 僕の周りから色々なものが消えていく。去っていく。むしろそれははじめからあったものなのかどうかすらも疑問だ。疑問なのはそう信じられなくなってきたからだ。演技が下手になってきたからだろうか。それでも懲りもせずに続ける。

 こんなことを書いていると、幾度となく思っては、ないがしろにしてきた問題と直面する。”僕は今まで何かに真剣になったことがあっただろうか”

 思い出はある。だけど、それに対して涙を流すこともできない。自分にすらも真剣になったことはないんだと思う。

 このやるせない感情はただの自己憐憫であって欲しいと、心からそう願う。もう色々とめんどくさい。

 

 フィクションでもいいから、僕は僕の素晴らしいエンディングを期待してる。弱く切なくかっこよく。救いようのないものがいい。君は救われ得ないんだよという言葉を、誰かからもらいたい。