くうちゅうくらげ

-A Boys Named No.28-

少しは笑ってみようかな。

ちょっと今出先にいて、ノートパソコン忘れたのもあって、人様のブログを閲覧しても引用残せなくてすんませんと思ってます。僕は結構小さな一言に美学を感じてしまう面倒な人間なので、本当は細部まで引用で残したいんですけど、アプリ驚くほど使えないってことに気付きました。スマートホンもPCも1日1時間覗けば良いほうなんですけどね。

はてなブログって結構書き手=読み手なところがあると思うんですが、僕はどちらかというと読み手のほうなんですね。みなさん知らないと思うんですけど。

 

ただ元気がないから自分で自分の好きなブログを探したりとかぜんぜんしないので、せめて自分のブログを見てくれている人のところは見に行こうかなくらいのやる気の無さではあるんですが。だけどこういうのって類は友を呼ぶみたいなもので、僕のテキストを気に入ってくれた人のテキストってだいたい僕も気に入るんですよ。もうこれは単純に傷の舐め合いみたいなもんでしょうね。

自分が一番大事にしているのは、舞台です。かっこつけて云いましたけど、その記事を書いている時のその人の「後ろの風景」っていったほうが近いかもしれない。

もちろん扇風機回っているかもしれませんし、小さな子供が3人くらいいたりするのかもしれないし、旦那や妻が寝静まった後に書いているかもしれないし、真っ暗かもしれないし、昼かもしれない。そういう風景に乗っかって「僕は自分が嫌いです」とか「今日はこんなご飯を作ったよ!」とか書くわけじゃないですか。

その人は過去にいじめられたのかもしんないし、すごくいろんな人に愛されたのかもしれないし、世界のこと恨んでいるのかもしれない。美しい以外のなにものでもないと思いますよ、そういうのって。だからそういう理由で、後ろの風景がぜんぜん見えない人の記事ってのに感慨を抱くのは、なかなか難しいものですわい。

 

んで、僕は今盛岡なうですなう。こういう時に限ってジャズの楽譜を入稿しなくちゃならなかったり、手にとってしまって無駄に気に入った漫画が30巻を超えているというミラクルが発生するのを知ってたらわざわざ金払って漫画喫茶に行くより、ノートパソコン持ってきたほうが良かったと切実に思います。普段休みの日に家でやってることと何一つ変わってねえ。

 

そういえばここんとこ、先生の計らいもあって某ジャズ雑誌にコラム的なものを掲載させてもらったりしてます。もちろんノーギャラです。なんのコラムかというとポエム的なものです。クソくらえです。

そういえばポエムで思い出しましたけど、こういう書き方はあまり好きではないのですが、僕はかなりのちゅうに病です。そしてこれを治す手段もありませんし、仮に治してやるとか云われても結構な確率で断ると思います。なぜならばやっているほうは結構気持ちが良いからです。今ははてなブログを使っていますが、昔は@ワードというよくわからない海外のサイトを使っていて、そこはというとスターはおろか、コメントすらもありませんでしたので、好き放題気持ち悪いことを書いていました。ただ、オナニーの方法ひとつにしても何が気持ち良いかなんて人それぞれだからです。

 

ところで僕は、テキストを見てくれている人には感謝しています。「わぁ読者が今日も増えたぁ。ありがとぉ。ほんと感謝だよぉ☆」なんて口が裂けても云いませんけど、感謝していることは確かなんです。なぜならば僕は誰かに向けて何かを書いたことなんてなくて、このブログは恐ろしいほど僕のくだらない日常であるからです。僕のテキストは他人にとっては何の楽しさも点在していないと思うから、なおさらなんです。

んで僕は好き勝手にほかの人の記事をなんの理由もなしに見に行きますよ。そこを感謝してほしいかといえば、全くそんなことはない。好きになるってことと好きになられるってことは等価じゃないと思っているから。僕は好きだけど、相手は僕のことすんごく嫌いっていう状況だってたくさんあるはずで。でもそんなのは関係ないですよ。相手に実害を被らせないのなら、「俺がおまえのこと好きなのと、おまえが俺のことを嫌いなのは、また別の話だよね」って胸を張って云いますよ。あ、ストーカーは駄目だよ。

だから僕は見る人とか関係なく、これからも自殺するまではなんか書く。それに対する評価とか別にいらない。そして、僕は同じようなことを何度も云う。僕は評価とか別にいらないというものを評価することをやめない。「俺がおまえのこと好きなのと、おまえが俺のことを嫌いなのは、また別の話だよね」と云う。世の中のほとんどはクソだからこそ、たぶん美しいことも微量ながらある。

そういえば例のコラムの感想ハガキに「気持ち悪いからやめてください」っての来たな。トホホだぜ。