くうちゅうくらげ

-A Boys Named No.28-

「私の日本一」という、今週のお題に答えてみた。

これは、つい先ほどコンビニで買ったアーリータイムズ3本をラッパ飲みしてから、力つきるまでの間に書く文章です。だいたい僕の場合は、ある程度頭の中にもやもやとしたイメージがある上で、テキストという形で吐き出すというのものなのですが、これは「今から書きながら考える」文章なので、何処に向かっていくのか自分でもぜんぜんわかりません。

 

そんなわけでTOKYOに帰ってきました。盛岡は涼しかったです。セミが鳴いているのを聴きませんでした。もしかしたら、セミは関東にしかいないのかもしんないと思いました。

 

いやーそれにしても試験散々だったなあ。因数分解とか出てきたらおっちゃん死んじゃうよ…。つーか試験って勝ち抜き制にすればいいのになと思った。まず学力テストやって、生き残った奴だけが論文書いて、さらに生き残った奴が面接まで行く。もしそうだとしたら学力テストで惨敗したのがわかっている自分がわざわざ、死に気満々の目で面接とか受けなくてよかったのに。

 

面接とか正にクソだった。ジャズの話しかしなかった。だって高校の時も社会人の時もジャズしかやってなかったんだから仕方ねえじゃねえか。どうせならジャズで食っていければよかったけど、それが無理だからせめて海の上で吟じることくらいさせてくれやって話ですよ!もうこれは正攻法じゃたぶん無理だから、「おもしろ枠」あたり狙うしかないな。教員たちが「このおっさん入学させたらおもしろいかもしんねえ」くらいのさじ加減で。ちっ、やってらんねえぜ。こんなやってられない日は、深田恭子とデートしたいぜ…。

 

…。

 

今週のお題「私の日本一」

久しぶりにお題に反応しておくことにした。書くテーマがなくて時間だけがあるから。

 

私の日本一かぁ。ここはせめて日本一の風俗店の紹介とか出来たら良いのだけど、そんな元気もないからなぁ。というか僕はそんなに云うほど風俗好きじゃないしな。

 

というか「私の日本一」って下ネタにしか見えないのは僕だけなのかなあ。世の中いろんな人がいると思うから一概には云えないけどな。僕の場合は「なめこ」というその名前と形状だけで下ネタだからなあ。なめこって美味だよね。特にちょっと小腹がすいたときに蕎麦屋に入ってあったかいなめこそばを食うとか、人生で数少ない楽しみですわい。

 

で、なんだっけ。なめこが下ネタかどうかの話だっけ。あ、違った。「私の日本一」の話だった。もう駄目だ。下ネタからどうしても離れられない。このお題は「私にとっての日本一とは何であるか」という解釈でいいのかな。

 

ちょっと思考してから自分の頭の中を覗いてみると、僕にとっての日本一はシカゴでやったジャズのセッションなのだけど、まずシカゴって時点で日本じゃねえからな。題からそれてOKなのだとすると何でもOKになってしまうのでやめておこう。

 

書くことないから、とりあえず地元の話からするかぁ。僕の地元は住所こそ黒部市の海沿いのハジっこみたいな場所だけど、魚津港がわりと近くにあり、小さな頃から「この土地はホタルイカ日本一の産地である」と親戚の叔父さんから教わったのだけど、今調べたら日本一の産地はもっと別の場所だった。誇りに思っている叔父さんが不憫だ。というか「はじっこ」が「恥っ子」とか「精一杯」が「性イッパイ」とか変換される僕のPCのほうも何とかしてほしい。

 

主題からだんだんズレていくのがわかる。これが股ズレってやつか…。違うか…。そういえば日本一で思い出したけど、僕は富士山に登ったことがある。2回。1回目は、20歳の頃、冬に一人で。バイクで5合目まで行って、少し登ってから明かりがないのと人がいないのと寒いので引き返した。時期を間違えたと思って、21歳の夏にもう一度バイクで5合目まで行って、少し登ってからスニーカーの底が抜けたので引き返した。富士山はスニーカーで行くもんじゃない。ついでにいうとヤンキースの帽子を被って行くものでもないし、一人で行くものでもない。ああいうのは深田恭子と行くものだと思った。だから深田恭子さんと一緒に登るまでは富士山には登らないと心に決めた。それと、酒を飲んでテキスト書くのもやめたほうがいいと思う。

 

もうだんだん自分でもわかっていると思うけど、僕に日本一なんてないのかもしれない。富士山はまだいい。奴は日本一の座から下ろされることはないだろう。エベレストは世界一のままだ。イチローもこれから長い間は日本一のままだと思う。だから、僕の心は日本一である。何が「だから」なのかわからない。なんだそんなに競い合うのが大事か。「元々特別なオンリーワン」ってついこないだまで吾郎が云ってなかったっけ?何が日本一だ、クソくらえ。富士山がただそこにあっただけのように、僕が今ここにいるだけ。日本一なんてタグ付けさせる必要なんてねえよ。

 

10歳の時みたいにいきり立ってみたはいいものの、なんだか不思議な気分だ。日本一とは云うけれど、よく考えたら、日本一は絶対にいる。日本一ちんこが長い男もいるだろうし、日本一浮気性な女もいるだろうし、日本一卑屈なおっさんっていうのもいるんだろうし、日本一舌の長いおばあちゃんなんてのもいるはずだ。いなければおかしいので、いるのだろう。僕が喫茶店でテキストを書いているとき、たまたま隣に座ったお姉さんが日本一嘘の上手い女なのかもしれない。

 

「かもしれない」人生のほとんどがこれで構成されていて、その中にたまたま日本一がいるだけである。だけど僕は知らん。喫茶店で隣に座ったお姉さんのことなんて何一つ知らん。その女が日本一おっぱいがきれいな女だったとしてもだ。

 

だとしたら、僕にとっての日本一は僕が関わってきたそのすべてである。そう云い切る。そしてこの世界こそ、今私が今、立っている考えている思っている日本一である。何が云いたいのかというと、無理矢理まとめるのにも苦労するのである。

 

結局ないってことで、ないってことはあるってことで、あるってことはもしかしたらないかもしれないってことで、やっぱり僕はジャズが好きだったなあ、あの気持ちは日本一だったなあ、そんなクソくだらない答えに行き着くのである。だいたいそう思うときは泥酔。ばいばい。おやすみー。酒を飲みながら酒の夢を見て酒の中で起きるよー。ああ片付けめんどくせ。これだから旅は困る。