くうちゅうくらげ

-A Boys Named No.28-

悲惨の中から。

今の僕は悲惨です。いや、生まれてから今までずっと悲惨ではあるものの今は特に悲惨です。どのくらい悲惨かというと、金がない、力もない、愛もない、友達もいない、コンビニで買ったアメリカンドックにケチャップもついてこない、というくらいの悲惨っぷりです。

 

前から愛と友達はなかったですが、金と力だけはそれなりにあったつもりです。力というとちょっと曖昧ですが、職場で10歳年上に向かって怒鳴れるくらいの無駄な権力くらいは持っていました。金はというと使い道がなかったというのも大きな要因ですが、それ以上に残業に次ぐ残業で月300時間超えないことはないという労働ぶりだったので、それなりに保持していたつもりです。

 

僕が生きる上の姿勢として、常々心がけているものは、「何もしねえ」ということです。よく誤解されるのですが、この「何もしない」はメシも食わないうんこもしないとかそういう行動としての「何もしない」ではありません。そういう意味ではなくて精神的な「何もしねえ」、これは「良いことも、悪いこともしねえ」って事に近いです。これを僕は戦闘的ニヒリズムと呼んでいます。

 

それにしても、こうも金も力もないと、うかつに女の子をデートに誘うことすらできません。「一緒に遊びにいこう!奢って!」なんて云ったら、ただでさえ友人が少ない僕は友人どころか知人すら失ってしまうでしょう。一応最後のプライドとして、友人や親に金は出来れば借りないというくらいの信念は持っていますので、なおさら貧乏をこじらせることは間違いないです。

 

こういうとき、ギャンブルしない人間で良かった、とひしひし思います。僕の性格上、パチンコや競馬やFXなんかをやっていたとしたら、たぶん今は借金まみれで代々木公園あたりで生活していることでしょう。いやー臆病で良かった。

 

しかしそれにしても、クソ、どうしてこうなってしまったんだ…。と嘆くはものの、どう考えても働いてないから以外の理由が思いつきません。月に10日くらいしか働いてないのにAVや飲み会やゲームなんかに散財してたらそりゃあるもんもなくなります。元々ないのに散財するのはやめようと決心するはいいものの、すでに来月のクレジットカードの引き落としが給料を上回るかどうかの瀬戸際ですので、なんだかいろいろとやってられないです。

 

となるとやっぱり働くしかないのか、ともっとも避けていた問題に直面しないでもないですが、やっぱりここであえて働かないというのが漢というものです。なぜならば余分にバイトを増やして余分にストレスをためたら、それこそ死活問題になるからです。

 

ここのところ、僕はむしろ自分から死にに行ってるような気がしないでもないです。