くうちゅうくらげ

-A Boys Named No.28-

僕の自由。

仕事帰りにたまたま数人で夕飯を食っている時に21歳のHちゃん(♀)が「28さんは、暇な時はなにしてるんですか?><」と聞いてきたので「家で宇宙について考えているよ>< フリードマン方程式についてとか><」と答えたところ、ぜんぜん会話が続かなくなったのでご報告です。家でフリードマン方程式について考えるのがそんなに悪いことなんでしょうか。家でニュージーランドの羊の群れからはぐれた羊について考えることとか、家で海に沈んだ船の残骸の周りを泳ぐノコギリザメのことを考えることがそんなに悪いことなんでしょうか。世の中はよくわかりません。僕がどこでどんなことを考えようともそれは他の人には関係ありませんがな。

 

まあ物事を素直に話すことが最良の結果だとも思ってはいないですが、周りを伺いながらあたかも模範解答のように見える答えを導き出したところで自分を苦しめることになるのは目に見えています。そういうのはさすがに25年の経験で学ばなければならないというものです。結果、僕なりに導き出した最良の方法は、特に何も考えずに今思っていることを吐くことだと思ってます。しかしいくら素直だからといって唐突に「そんなことより君はおっぱい大きいね」というのもやめたほうがいいと思います。それも25年の経験が物語っています。

 

でもよく考えたら一人の女に宇宙について話したりおっぱいについて話したりすることに何の意味があるんでしょう。宇宙について二人で問答したいわけでもないですし、おっぱいの大きさをひたすら誉めたところでなんも意味ないです。まあ世の中は意味ないことの集大成なので意味ないことが意味ないわけでもないのですが、だからといってHちゃんのおっぱいが大きいことが僕の人生を変えるわけではないことは確かです。

 

じゃああんたの人生を変えるにはどうしたらいいのよって云われたところでまあ模範解答はないのですが、「とりあえずその大きなおっぱいを見せることから始めようか」と云ったところで見せてくれないのは明白です。万が一の確率でおっぱいを見せてもらった後に結婚してご懐妊して離婚するという流れもあるかもしれませんが、まあほとんどの確率で逮捕です。特に僕の場合は大体の確率で逮捕でしょう。そんな中、奇跡が起きていきなりパイオツを見せてくれたら確かに人生が変わるのかもしれませんけど、そもそもHちゃんもとい、僕を取り巻く他の人々は、別段僕の人生を変えようとしているわけではないことに気付いたので、これにておっぱいのお話は終了と致しまして、独り脳内宇宙論の議題に戻ろうと思います。おつかれさまでした。