くうちゅうくらげ

-A Boys Named No.28-

2014 #1

「これからなんか書きます」って書いてるときに限って何にも書かなくなるところあたりが僕のダメ人生を形容しているようでなんかいい。クリス・ジェリコっぽくてなんかかっこいい。違うか。


とりあえず忘れる前に書いておきます。


今年は大きく分けて前半と後半がありました。


前半は7月までで、半ニートをひきずりながら行く先もアテもなく、ストレスで今にも全裸のまま商店街を走り回りそうな勢いでした。後半は8月からで、半ニートとおさらばして祖父の会社に就職し、ストレスで今にも全裸のまま商店街を走り回りそうな勢いでした。


おしまい。


違う。気分的にはそうしたいのだけど最近文字っぽい文字というかエントリっぽいエントリというかエリンギっぽいちんちんとかぜんぜん書けてないので今日は気が済むまでなんか書く。


上手くまとめらんないので、箇条書きっぽく思い出しながら。


まずはなによりここ(ブログ)のこと。


7月までがんばったのに8月からぜんぜんがんばってない。これは時期的に仕事のせいかなー、仕事忙しいからなー、あー今日も3時間しか寝てねー、つれー。とか、僕のしている仕事はそういう仕事じゃないです。しっかり8時間くらい寝てるし、別に忙しくないです。


ではなんで最近書けなくなってしまったのかというと、たぶん一番に挙げられるのは「考える時間」と「吐き出す時間」の調和が取れなくなってしまったことです。この時点で魚津のタコより頭の悪い僕は自分で何書いてるか全くわからなくなってきましたが、がんばってこの辺書きます。


僕は人生は選択の連続で構成されていて、その連続の途中で誰かと出会えたり、かわいい女の子とセックスできたり、さいあく死んだりとかすると思ってるんですけど、その意識もしない選択の話と。具体的に右に行くか左に行くか決める、決断という名の選択の話です。


仕事を始めてから毎日6時間以上は車に乗ることになったんですが、道路を走るってそれこそ決断の連続じゃないですか。意識してるわけじゃないにしても、意識するにしても、とりあえず決断。


実はこの「決断」ってヤツは気が付かないうちに脳の運動になったりしてることに最近気が付いて。要はPCに向き合って10時間消化する仕事と、10時間ずっと道路走ってる仕事は、根本的になんか違うってことです。


当たり前ですね。おしまい。


にしたいけど、もうちょっと書く。


で、今までニートみたいな生活してたので、どうしても余分なことを考える時間ってあったんです。実際に余分なことする時間もあったし。まあ小さい頃から「28くんはちょっと考えすぎじゃない?」とかわいい女の子から云われたわけじゃないですけど、どうでもいい女の子とか友達とかに云われてて、自分でも少なからずどうでもいいことを余分に考えるフシがあるっていうのは自覚しているんですが。結論から云うといわゆるこの考える時間ってやつを今まではそのままブログになんか書くってことで解消してて、それがほとんどすべて運転に奪われたってことです。


小さなところで云うと、やっぱり電車通勤で1時間かければなんか考えるじゃないですか。電車が脱線しないかな、とか常に考えてる人なんていないでしょうし。僕はその間になんかネタになるようなこと考えて、考えただけじゃ気が済まないから垂れ流してただけにすぎません。


でも運転してるとそうもいかないです。他のこと真剣に考えながら、更にそれをアウトプットする段取りまで考えてたら、普通にがんばって自転車乗ってるおじいちゃん轢きます。おじいちゃん轢くとどうなるかというと、おじいちゃんはもうがんばらなくていいけど、僕は家でのんびりおなにーする時間がなくなります。一大事です。つまり、事故らないためには結構集中しなきゃならんのです。


これ、家に帰ってから全裸で「なんか書こうかなー」って思ったときに何にも思いつかない、なんでかな、って色々考えたときに出た結論です。気付いたのは最近の話です。たぶんこれはほんとの話です。


んでまあ、僕は書くことによって見る、というタイプで、見ることによって書く、ってことはぜんぜんしないんですけど、書かないから見ないです。友達のみなさんすんません。


つまり、書くためには考えなきゃいけないのです。今の僕みたいに書きながら考えるのもアリだとは思うけど、ちゃんと人に見せられるような文章を書くには、ちゃんと考えなきゃだめです。


ちょっとその決断だとか選択だとか僕が最近ブログ書けない、見ないの、おなにーの話は置いて、いつものこと書きます。


世の中にはいろんな人がいます。不思議なくらい。僕みたいに恋人は愚か、友達もいない、話を聞いてくれる人も家のうさぎしかいない、うさぎは人じゃない。そんな人、というか僕にとってブログは思考の浪費です。そんなことに今気付きました。


浪費の部分が運転とか仕事のこととかで解消されてしまってるので、書くことなんもないです。世界や社会に云いたいことも特にないです。まして、特定の誰かに云いたいことなんかもないです。ニュースも見てないので、世の中のこともよくわかんないですので何もいえません。ブログにわざわざ書いて回るような趣味も特にないです。わざわざ書くような嬉しいこともそんなにないし、哀しいこともそんなにないです。読者もいないです。金もないです。


推敲してないし頭も悪いので日本語も文章も致命的ですが、これ以上書くと色々とダークな気分になるし、長くなってきたのでとりあえず第一章完として、暇なときに第二章として別の項目について書きます。


そのときまでさようなら。