くうちゅうくらげ

-A Boys Named No.28-

今夜、おれは世界で最も上手く言い訳をする男になる。

何処に行っても何をしてても、どいつもこいつも。「あいつはここのこーがあーだの」「これのあれのここがこーだの」批評や批判ばっか。まるで自分は世の中のすべてを知っているような口調で。個人や世界や思想や夢や理想の全てを語る。問いただせば やれ彼が言っただの、彼女が言っただの、TVが言っただの、なんたらかんたら。

本当の意味で人の話を真剣に聞ける人間は、死にかけた人間だけだ。死にかけた人間は、全てを失った人間。自分の死を悟った時に、初めて自分の事よりも他人の事を大事にしようとする。生きている人間、つまり死の予兆が何もない人間は自分のことだけを考えてる。人の為に生きているだなんて、ただの綺麗事。永遠に生きられる、と思うなよ。

生まれてこのかた、俺の話を真剣に聞いてくれたのはただ一人。少し前、病床についた今は亡き俺の爺さん、ただ一人だ。下らない悩みを、下らない将来絵図を、下らない話をただ真剣に聞いてくれた。その日はなんともなかった俺の爺さんは、次の朝突然逝った。

その愛に、代替品はない。

入院するまではあまりにも元気だった俺の爺さんは、いきなり入院して、いきなり死んだ。後悔するなよ、と言い残して逝った。

それから俺はいつか死ぬって事を心に刻み込んだ。

考えれば、今までの俺をとりまくすべての歴史は今思えばドラマの様な展開だった。

つまり、俺たちは“今”を生きることはできず、美化されてくる“過去”に価値観を見出し、確約もされていない“未来”に身をゆだねる。そのありもしない“未来”に期待して、ダラダラと不毛な時間を過ごし、殆どの人間が10年後でも同じことやってるんだ。何も変わりもなく、ただ繰り返すだけ。10年後?10分後のことさえわからない。いつ時間切れになるか知らない。何にもできず、何も手に入れず、何も残せずに、何にも気付かずに、やがて死んで行く。それが俺達。言いたい事を言ったら、それだけトゲが出てくる。“オトナ”になれないままの大人は、それだけで煙たがれる。個人的な意見…つまり我の強い人間は排除される。個性?そんなものは必要ないみたいだ。世間は元々ロボットを望んでいる。だから言いたい事も言えず、ストレスをため、やがて死んでく。それが俺達。

~わかってくれる人だけわかってくれればいいよね?でも、わかってくれる人は出来るだけ多い方がいいよね?嫌われるよりも好かれてる方がいいよね?~

俺達は…いつになったら他人の目を見て行動する事をやめられる?いつになったら他人の批評を気にしながら生きていくことをやめられる?

アンタ、自分には自由や幸せを手にする価値があると思う??俺はそうは思わないね。自由や幸せなんてもんは、そんなもんは最初から存在しなかったんだ。

世の中にはとても、臆病な人たちもいる。変化が怖いんだ。でも本当は、世界は思ったほどクソじゃない。だけど日々の暮らしに慣れきった人々たちは、良くない事もなかなか変えられない。だから、あきらめる。でも、あきらめたら負けなんだ。

俺は絶対にくじけない。こんな事でくじけるもんか。見てろよ。俺は耐えてみせる。俺は強い。くじけるもんか。俺に何が出来て何が出来ないかを勝手に決めるな!!