くうちゅうくらげ

-A Boys Named No.28-

純粋な、あまりにも純粋な。

「丸坊主にしよう。」たまーに唐突にそう思うことがある。なんつーか、その、アレだよ。頭に乗りかかるモノが全て邪魔くさいって云う。いつも思うだけで実行には移さないんだけど。

〜これは、まだ小さな頃の自分とこれからの自分へ〜

ほら、今日なんかはさ、体育の日で日曜日なわけでしょ。でもこんなに天気が悪いと、運動会は中止だね。せっかくお父さんも休みとったのに、これじゃ振り替えで応援にいけないね。ちょっと、悲しいだろうね。息子や娘の光り輝くときをさ、見れないなんてさ。それはちょっと、悲しいだろうね。一生の思い出はさ、雨に流されるよ。永遠にさ、過去に葬り去られるよ。子供は、ちょっと、悲しいだろうね。でもいつだってその小さい足跡は地面に残る。それも、永遠にさ。一生忘れるなよ、その景色を。その感慨を、その哀愁を、その勇気を、その気怠さを。その何も変哲もない、ただの小さな、小さな雨の一粒をさ。見上げた、どこまでも灰色で希望のない空をさ。流した泪のひとつと、赦せない憎い愛の言葉を、変えられない風向きを、誰かの後ろ姿を。絶対に、忘れるなよ。その景色をさ。それはいつか形を成して、世界へと飛翔する。だけど、もしそうでも、そうだとしても、俺はやっぱりちょっとは、悲しいだろうね。それでもとんでもなく綺麗で。悲しさは綺麗の糧になるよ。まだ小さな頃の俺でもそれは感じられたね。悲しくて綺麗な、雨の日の、日曜日の朝。あんまりにも綺麗で悲しい、そんな最高の日はきっと、裂くにはうってつけの日だろうね。

〜2010年10月10日〜

イベントで自分よりもいい曲を描いてるヤツがいた。専門卒で2、3こは年下のはずなんだけど、自分よりも哀愁の深い極を歌いやがる。どういう生き方をすれば、あんな曲が描けるんだ。俺は基本的に他人と自分を比べるということはしない人間なのだけど、久しぶりの刺激に「悔しい」という想いがこみ上げてきて。てなわけでここんとこはほとんど引き篭もってギターばっか弾いてる。こういうの久しぶりで気分がいいんだけど、今日も気付いたらこんな時間になってしまった…。と、まぁ全然寝なすぎるのも宜しくないことだと思う。たとえば、試験の前夜に根を詰めて勉強してもかえって逆効果だったりって云うその例だ。だけど眠気とかそういうめんどくせーもんは全部気力でなんとかなるってことに改めて気付いた。もうホント、日々学習ですね。いや、別に何も学んじゃいないんだろうけど。

で、昨日の昼はというと、久しぶりに気分が変わって公園かなんかに散歩しに行ってきた。雨が降っていて寒いし、なんでわざわざこんなときなんだって思うかもしれないけど。そういう時こそ生まれるモノがあるんだな。美術館行ってアートを観たり、映画館で映画を観たりするのももちろん好きなんだけど。そういうのとは違って。日々の感情の起伏って云うのか。たとえば、なんか名前も知らん花や草が生えていて、そこにはバカらしいタバコの吸い殻があったり、水フーセンのゴミがあったりする。そんな、ほかの人が通り過ぎるだけのような何も変哲のない道なんだけど。なんていうかようわからんけど、誰もが何も考えずに歩くような道にも確かにストーリーがあって、そこでは小さな生命がいつも息衝いてる。まぁそんなことは毎回云ってるからもういいや。とりあえず1秒1 秒、俺の中で卵が割れて、何かが生まれてる。今ってそんな感じ。

そういえば、昔こんなことも考えた。きっと人間は20歳を超えたら何か一気に自分の中に変革みたいなものが突然訪れて、人を大人に変えてしまうんじゃないか。だから、自分の母親や周りにいる大人たちは物事をたくさん知っているし、たくさんの悲劇なんかも笑顔で受け止められるんじゃないか。もしかしたら自分がこうやって様々なことに関心を持てるのは子供の頃だけなんじゃないか、ってね。確かにガキの頃に見えていた夕陽の色も、海のにおいも変わった。だけど自分の根本は何も変わっちゃいない。まぁ別にそれがイイコトなのかワルイコトなのかはわからんよ。ただ、気分次第でどうにでもなるってこと。「こうするしかなかった」とか云うサダメだかなんだかしらねーもんは全部越えて見せるよ。

今日作った曲は、Am→F→G7→C#ってゆー当たり前の境界線を越える。人生における感情の起伏や排水溝に捨てられた哀しい記憶や異国で起こった大惨事、はたまたついさっき生まれた新しい生命、下らない空想、銀色に光る夜。それはすべて、俺の風に乗っていく。空高く舞い上がるよ。

人は老いて、人は死ぬよ。当たり前じゃん。もしかしたら今日車にはねられるかもしれないし、何もしてねーのに通りすがりで刃物を持った人に刺されるような世の中だ。人はバカだから、痛みを消して、悲しみを消すとそういう当たり前のことも忘れちまうんだよ。そういう意味じゃ、ある意味幸せである意味侘しいモンだな。とにかく俺は精一杯生きているんで、今日そんなことが起きてもぜんぜん平気だね。毎日毎日、今日に遣り残してることは死ぬことだけだよ。そう思える毎日を過ごしたいと思ってるね。だから伝えたいことは伝える。云いたいことは云う。やりたくないことは絶対にやらない。そういうのをなんて云うか知ってるか?“自己中心的”って云うんだよ。すげー、とんでもねー、褒め言葉だ。

本当は今日は気分を変えてケータイから投稿して、絵文字なんか使ってやろうかなんて思ったけど。ガラじゃないからやめた。

丸坊主にするわけじゃないけど、今日は久しぶりに髪を切ってこよう。かっこよくしてもらおう。いや、かわいくしてもらおう。もう誰が見てもとんでもなくキュートだって思えるほどにさ