くうちゅうくらげ

-A Boys Named No.28-

ライフタイム。

今日は。なんていうか。今日は。いや、今日も。何もなかった。同じだった。

良く考えればここ1ヶ月半ほど、他人とまともに会話をしていない。街は同じだった。行き交う人の格好は、自分には手が届かなそうなブランドモノだったり。いくらかけてカットしたのかわからない個性的な髪型の人や。毎日エステなんか通っているのかもしれない人たち。月額数十万の家に住んでいる人もいたかもしれない。それでも彼らは、そして彼女らは。普通に腹が減るみたいだし。電車にも乗るし。そういえば友達や恋人と喧嘩をしている風景なんかも見た。

とりあえず、なんてったって同じで。もしかしたら、今日も空は美しいとか思ったりもするのかもしれないし。押しつぶされそうな孤独な夜を越えてきたかもしれない。それは俺にとって、もの凄く近いような存在に感じるときもあれば、そうじゃないときもある。同じように腹が減るだけで、それ以外は全然違う種族なんじゃないか、とか、そう感じるときもある。

とにかく、きっとこの気持ちはどこにいても同じなんだ。東京でも大阪でもロンドンでもロサンゼルスでもきっと何も変わらないような気がした。いや、たとえこの気持ちを共有できたところで。俺ときみとは確実に見解が違って。結果的にはお互いに少しだけ哀しいものだと思った。でも単純なことだよ。きみが笑えば、そこは綺麗で宝幸な世界だ。この空を通じて誰かと結ばれているような、そんな場所から吹く微風。俺はその風を受けてみたい。俺は惨めさの中から幸せを見つけることが出来るかな?

そんな気持ちを抱えながら街を歩いた。1人歩く街角で、懐かしい香りがした。それは「夕食の香り」だった。

そう考えれば、俺が感じた「夕食の香り」とはどういうものなんだろう。そんなくだらない事が、1日中頭にまとわりついて離れなかった。

俺にはずっと疑問だった。

思ったよりも仕事が早く終わったので、深夜に近所のスーパーで夕食の買い物をした。料理は得意ではないので、誰にでも作れそうなものにした。焼くだけで食べられる魚と、分量だけで作れる味噌汁と、レンジでチンするだけのお惣菜。たまにそういう風なことをしたいと思うときがある。俺には、生きていると感じたいときが確かにある。それで何が変わるってわけじゃあないんだけど。とにかく夜風に吹かれながら、夕食の材料と物憂げを仕方なく連れて帰る。

世界は、今日も変わらずに周っています。

家に帰って味噌汁の具材にしようとしていた大根を切りながら気付いた。“あぁ、これが、「夕食の香り」か!”そんなときにふと思った。

とても不思議な感覚だった。俺は何を覚えて何を忘れていくのか。頭では理解をしているつもりでも身体は嘘をつかない。その記憶の中の“五感”というのはいつでも俺に感じさせる。そう、俺は、間違っているんだ、と。

俺は何にも気付かずに生きてきたんだ。いつだって物事を最後に知らされるおめでたいヤツだった。結局は自分のことだけしか考えられず、反省と後悔が大好きな猥雑な自意識。そして、在りもしない答えにとり付かれた俺の結末はもう見えているのに。使い捨てにされたはずの、残り屑だと気づいていたはずなのに。

その“五感”は、たまに俺を超えて俺を蔑ろにする。その諍いと苛みにも泪は零さないと必死に空を見上げ。何処かから吹いた微風によってその水滴はさらわれる。

ええと…求めなければ、ある程度は傷つかないものです。求めれば、それ相応の痛みは与えられてしまうよね。期待っていうのは幸せとやらに必須なことらしいけど、それによる代償というのは思ったよりも大きい。だけど諦めるのは良くないね。その内にその諦めが身体に染み付いて、痛みを感じなくなるからだ。

俺は本当に不思議だったんだよ。こんなことを考えるのは自分だけじゃないのかって。でも、違った。いや、違うと思う。

生きている人はみな何処かに自分なりの幸せと哀しみを持っていて、それを伝えたい。お互いにそう想いながらも、それでいて不器用で、とても共有できない。それは、少しずつ哀しく、少しずつ楽しく、そしていつかは空に消える。

だけどいつだって。きみが笑えば、そこは綺麗で宝幸な世界だ。覚えておいてほしい。喜びも楽しみも綻びも。苦しみも悲しみも憤りも。きみが感じるものが。きみの感じるものだけが。それだけがこの世界では絶対に正しいんだ。抱える悩みは小さなものではないかもしれない。だけどその悩みは、その感情は、その泪は。絶対に正しい。