くうちゅうくらげ

-A Boys Named No.28-

恋愛事情。

「夢に見切りをつけて定職に就いてほしい」と感じているA子が5年間付き合っているというニュースを見た。純粋に、おもしろいことを書くヤツもいるもんだな!と思った。なんかくだらねーけど、不意に考えていたらおもしろワールドにハマリこんだのでエントリにしてみようと思う。ま、長くなったし誰も見てはくれんか。

前置きを書いておくと、俺が過去のエントリなんかで毎回“恋”と呼んでいるのは、総じて女性に対してのこととは言い切れない。夢であっても、人であっても、形のあるもの、ないものであっても、それが“恋”と呼ぶだけのパワーを持っていればそう表現しているだけにすぎない。そんなこんなで今日のに関しては女性に関しての“恋”についての話題になるんだと思う。ってか、もうとっくにお分かりかと思うけれど俺は典型的なロマンチストであります。いわゆる理想主義とか、あまり現実的ではない考えのほうが好きというか。大衆から云わせれば、いわゆる痛いとか中二病とか高二病とかそういう類の人なのではないかと。まぁ、それの何が悪いんじゃ、思ってることを書いてるだけじゃ、って話なので気にしてませんが。なので、あくまでそんなクズの主観でしかないのでサラっと聞き流しておいて貰えると。


「夢に見切りをつけて定職に就いてほしい」と感じているA子が5年間付き合っているプロのミュージシャンを目指すフリーターの彼氏に夢をあきらめさせる方法

このエントリのくだりに、『私だって皆みたいに結婚して幸せになりたいのに』『もう十分でしょう?』『いつまでやるの?』『私の将来のことも考えてよ』というのがある。どうやらこれはNGワードらしい。はい、そうですか。「『別々の人生を歩む』という選択肢もあるよね」という意味合いも込めて、 “私はこう思っているんだけど、あなたはどうする?”といった聞き方をするのが彼のプライドを傷つけない一番良い方法みたい。」らしい。はい、そうですか。

えーとまず、俺は「つーか、恋愛事情って、そこまで文章や言葉であーだこーだ云わないと成り立たないもんなのか?」と思う。どっちにも云えるけど、別に夢を追っていようと定職についていようと、恋愛事情って変わらないのでは?だってさ、この場合とかさ。「男は女のためにミュージシャンになるという夢を諦められるほど女が好きなのか」VS「女は男のために定職に就いてほしいという夢を諦められるほど男が好きなのか」じゃないか。まぁ夢の種類にもよるとは思うよ。でも誰にも干渉させない夢なんて、ぜんぜんないだろ。
「空飛びたい」とかそーいうの思うだけなら話はベツだけど、仮に実現するとしたら、すげー大勢の人を巻き込むぞ。たとえば親が望んでいない夢を追うなら親は干渉するし。彼女・友人然り、時には会社の人間やまったくカンケーのない第三者を巻き込む類の夢なんかってのもある。つまり相手がいるという事実がある限りは、そこには双方のエゴが確実に存在する。
って、まずさ。さっきも書いたけど、そんな言葉にできるようなアレだったか恋愛事情って。いや、自分だけかもわからないけど、俺が恋をしたときなんかは、もうこれ以外何にもいらねーって思えるほどアツイんだが(苦笑)
こんな冷静に考えてんのって果たして恋愛なのか?


俺が云う“恋”の定義は簡単。

朝起きてそれについて考え、昼メシ食っているときにそれについて考え、仕事の合間なんかに空を見上げながらそれについて考え、沈む夕陽をみてそれについて考え、家に帰ってTVみながらそれについて考え、寝るときにまたそれについて考える。

それを150日ほど繰り返していくと、世にも奇妙で奇怪なワールドに突入する。何がなんだか、わからなくなるのだ。よく恋愛ドラマなんかで耳にする、「私、人を好きになるってことがなんだかわかんなくなっちゃった♪」っていう感情だ。この感情を引きずったまま、更に150日ほど自問自答を繰り返していくと、ついにはとんでもワールドに突入する。

このとんでもワールドでは全てがとても聡明で、とても美しく感じるのだ。

ここではじめて“恋”性的欲情はおろか、一般常識も、感性も、理性も、全て通り越した神秘的なもの。この感情を味わった人がない人はぜひ味わってもらいたい!!←?まぁ下らないことは置いといて。云わせてもらえば、こんなトピみたいな恋愛の本質とはまったくカンケーのない話題を出してる時点でお先真っ暗は目に見えてるわ。現代人が3次元離れして2次元にハマんのも、日本から風俗やらキャバクラやらがなくならねー理由もようわかるわ。離婚や結婚繰り返して、子供は川に捨てるわ、少子・高齢化が進んでこの先日本どうなんのーってなる理由もようわかるわ。と思った。いや、ただ思っただけ。だって極論言っちまえば、「いや、おめー、そんな夢とか未来とか、ルックスとか定職とか財産とか好きな芸能人とかカンケーねーって、俺は目の前にお前が生きて存在してりゃ幸せよ!」ってお互いが云うこれこそ、ってかこれだけが恋愛じゃろけ?恋愛ってそういうとんでもなく恥ずかしいもんじゃろけ?いや、ようはわからん。片方がそう思うのは簡単だけど、両方がそう思い合うってのは究極に難儀。だってこういうのってあくまでエゴのぶつかり合いだから。ま、だから、結局このトピの下部でも説明しているように、“そもそも人生の進路変更は、『やるだけやった』と本人が納得しないと、なかなかできないもの。”だからだろう。

解決策ってかさ、それこそ冷静に考えるんだとしたら、男はその女を「夢を諦めるほどまで好きじゃねぇ」ってことで、女はその男を「定職についてくれなきゃその内嫌いになる」ってことだろ。じゃあもう2人は恋愛してません。バイバイ、さよなら。悩むまでもなく解決。
いや、普通に恋愛に定職なんてカンケーないと思うよ。夢も関係ないな。極論、それなら勝手に金稼いでくれるマシンなんかがありゃ、恋人いなくても解決ってわけでしょ。なぜ結婚などと云う法の縛りを受けなければ恋愛事情が成立しないのか。それがとても疑問。だってそれじゃ本末転倒やろ、義務じゃないんだから。

人によるとは思うけど、好きじゃないのに半強制的に籍入れられるとかじゃねぇんだから。てか今の時代、家がお隣だからって理由で無理やり付き合わされることなんてなかろー。

恋愛感情がないのに結婚するとかさ、かなり稀だぞ。こんなんじゃ、そりゃ2次元との婚約を望んじゃってマジで躍起になるヤツらも出てくるわ。

なるようにしてこうなってる。ん〜まぁこのトピじゃツッコミどころありすぎるんだけど、アバウト過ぎてわからんわ。友達じゃないし。そしてあまりカンケーないところで、俺のおもしろワールドは展開する。というか、ここから下はただの自己分析だ。

たとえば、俺なんかは人を好きになるとその相手に彼氏がいようが夫がいようがまったくカンケーがないと思っているわけだ。まぁ何でかって云えば、相手はこの世に一人しかいず、俺もこの世に一人しかいないから。

そして殊更に面倒なのは、相手が自分を好きか嫌いかはどーでもいい、関係ない。と云うこと。観点は自分が相手を好きなのかどうかであって、相手が自分をどう思おうと関係がなくなる。非常に自己中心的で取り返しのつかない性格だと云うことに気づいた、というかずっとそうだ。つまり、人によっちゃーとんでもなく面倒な男である。

えーといわゆる今回のトピなんかでよく出ている“男性にめんどくさいと感じる瞬間 7つ”とかに最低でも5つは当てはまるような感じだ。

俺は人間というのは、存在さえしていれば必ず最低でも1つは価値があるもんだと信じきっている。つまり俺の理論からいけば、その自分の魅力を感じさせる唯一の方法ってのがこの世には必ず存在し得るってわけだ。これをまとめるいい言葉を思いついた。“執着”だ。

それを女性に置き換えたとしよう。(夢やほかのものに置き換えても…)たとえば、俺がいま女性Aが大好きだとしよう。そして女性Aは俺のことが大嫌いだとする。ここで俺は女性Aに「おぬしが好きじゃ」と告白したとする。すると、当然のことながら「わしはおぬしが嫌いじゃ」とフラれる。俺は落ち込む。だが、友人や音楽や映画や偉い人なんかに「お前、夢を諦めんなって」とか「成せばならぬ成さねばならぬ何事も」と云われたとする。それでまた、俺は懲りもせずに女性Aに「おぬしがやっぱり好きじゃ」と告白する。すると、当然のことながら「わしはやっぱりおぬしが嫌いじゃ」とフラれる。えーと、エンドレス。

ここには確実に双方のエゴが存在する。「お前を確実におれのモンにしてやるぜ、べいべ」VS「マジあいつキモいんだけど早く死なないかなー」これをどちらかが受け入れるかどちらかが諦めるまで追突し続ける。だがそれでは、どちらもいい思いをしない。でも、もしかしたら女性Aが何かの拍子で俺を認めてくれるかもしれん。

それかもしくは、俺はストーカーに成り下がるかもしれん。いや、断っておくが、人生において “もし” は有り得ない。それは未来に対する言葉だからだ。未来は誰にもわからない。だから必ずしも夢を追い続けるということはいい事ばかりでもない。引き際も時には肝心だと感じるときもある。いやだが、当の本人は自分が何をやっているかわかっちゃいない。

ここがおもしろワールドなわけだ。犯罪はしないほどの理性はあるけれど。いや、逆に云ってしまえば、犯罪をするほど理性を失えばそれは“罪”と云うのだろう。これは、なんと美しい“罪”なのであろうか。(危険です)とはいえ、最低限のマナーは守るよ(笑)

アツくなりすぎた。恥ずかしいので読み返さないようにしよう。

だから、えーと、まとめると何が正しいか、間違っているかは あくまで自分の判断基準によってそれが相手に伝わるかどうかも人によるんでしょうだから、どんな人間でも成功があり、失敗がある。

その成功も失敗も最大限に楽しむ、というのが「うん、この人生も悪くない。」と自覚するやり方なのかもしれない。だいぶそれっぽく書いてみたが、あくまでこれは、毎日のように理想郷だの宇宙空間だの云ってるキチガイの主観でしかないので。