くうちゅうくらげ

-A Boys Named No.28-

ディーエヌエー。

今日久しぶりに同居人と軽く話しました。
ここんとこすれ違い生活ばっかりだったから、少しでも話せて良かったですよ。
どうやら、今日は彼の彼女が遊びに来るとのこと。
まあ話を聞いてる感じだと、続いてるから好きなんじゃなくて好きだから続いてるんだと思いました。

ここ数週間の間、禁煙をしようと思っていてですね。
まあ結論から云いますと、無理だったんですが。

なんで禁煙しようと思ったかって云いますと、まあなんていうかこのご時勢にもなりますと喫煙者がカッコいいなんてモノでもないと思いますし、何処に行ってもあまり良い扱いは受けませんし。
文字通り煙たがられるわけなんですけれども。
それを除いても、高いし健康には良くないらしいし、やめておいて損はないかなーって思ったんです。

で、結局のところ無理だったんですよね。
なんで無理かって云うと、タバコ吸ってる男子はカッコいいからです。
いや、さっき話したように世間様じゃ別にタバコ男子がカッコよくないってことみたいなんですけど、俺からしてみたら未だにカッコいいと思ってるし、タトゥーもカッコいいぞ。
いや別にかっこよくないか。

まあカッコよさのためだけに決めるのかっていう話なんですけど、こういうのって美意識の問題なんじゃないかなって思うんですよ。人生って美意識じゃないの?
というか単純に中途半端に決意したニコチン中毒者が生半可にやめられるほど禁煙は簡単じゃないってことですね。
はじめから止める意思あったのか?
いや、ないだろ。

で、まあ全然関係ないんですけど、俺はですね、別に合わせる必要はないと思ったんです。
無理に人に合わせるよりも、いくら人に引かれようが自分のやりたいようにやるべきだと。
やりたいようにやって批判受けたり、仲良くできる人が減ったり、人に嫌われたりするよりもは、無理して人に合わせるほうがつらいってだけの話なんですけど。

確かに、毎日何かしらのことを書いています。
今日なんかは職場の友人に「そこまで書いてなんか面倒じゃないですか」って云われました。
確かに自分でもそう思います。
もし他の人がこの量をこのペースで書いていたらちょっとうざいかもしれないとも思います。
いや、人によりますが。
俺は好きなブロガーなんかには毎日のように記事を書いて欲しいですし、滞るとちょっと寂しいですし。

問題は興味があるかどうかとか好きか嫌いか。
実にシンプルだと思うんですよ。
万人に好まれる方法なんてないわけですし、その方法があったとしてもそれを実行するかどうかは定かじゃないです。
そもそも自分は、別に万人に好かれる為に生きるわけではないんです。

それに意味って云われたら、無いですし。
書くことによって誰かが何か感じてくれるなら、それこそ嬉しいことはないんですけど。
金にもならないですし。
というか、金ってそんなに重要ですか。
「意味の無いこと」がそんなにくだらないものなんでしょうか?

ある程度開き直りますけど、自分のある程度の領域にだけ見捨てられず、哀しませずっていうのが最低条件で、そのほかの人がどうなろうと知ったこっちゃないわけですし。
どんな時代でも自分の家を守れる人間が一番美しいものなんですよ。
というか俺がただそう思ってるだけですけど。

そう、この“思ってるだけ”は随分と自分の弁えになってきたんだと思ってます。
いわゆる、美意識の問題ですよ。
人に良く思われるとか思われないとかじゃなくて、自分が良いか悪いかです。

感性の死と精神の死が肉体の死に勝るのではないかという考えはかなり前から持ってます。
感じることが何もなくなれば、死んでしまうのではないかと。

人は生きている限りは何かを考えなければいけないですよね。
さて。何かを考えた。としたら、それを伝えずにどこへしまおうか?
しまっておける自分が大きければ良いでしょう。
だけど、小さい場合は?
そのままでは壊れてしまうでしょう。
それならどこへ吐き出しましょう?
それは自分か、他人か、それとも世界か。
別に何処でも良いんですよね、吐き出せる場所であれば。

目に見えるものだけを信じるというわけではないですけど、自分が見えていない範囲で活動している人なんて生きていても死んでいても同じことだと思うんですよ。
もちろん極論ですけど。テレビとか見ないですし、自分が見ていない間はテレビに出てる人が生きてようが関係ねえ、と。
街が賑やかだろうと閑散としていようとそれも関係ねえ、と。

でも仮にそうだとしてもせめて自分の周りの領分だけはなんとかしていきたいですよね。
とにかく自分1人だけってのは結構キツイものがあるので。

だけど無駄に万人に好かれようと思うと苦労しますよ。
自分のことが嫌いなヤツなら放っておけばいいんですよ。
自分が嫌いなヤツならもっと放っておけばいいんじゃないでしょうか。
別にそいつに気を遣う必要も媚びを売る必要もないでしょう。

但し、自分が大事にしたいと思っている人にだけは誠意を持ってちゃんと話せ。
そして捕まえたら離すな。
と、まあそういうことなんだと思います。

宗教は嫌いなんですが、自分の好きな言葉、座右の銘に「無二無三」という言葉があります。
これは「ただ一つしかなく、それに代わるものがないこと」という意味です。
まあ戯言なんですけど、人が100人いたら100通りの考えがあるんですよ。
1人1人が違うわけだから、それを天秤にかけてもねえ?と思うわけです。
どんな人でも、あらゆる可能性が用意されてると思うんですよ。
たとえそれがどんなに叶わないような夢や希望だったとしても可能性がゼロじゃないってことは、俺の中ではかなり重要なんです。

今云いたいことが云えていれば、それだけでかなり幸せだと思っているんですよ。
金とか地位とかが無くても。そんな中で他人に無理して同調するとか、無理して合わせるとか、云いたいことが云えずに後悔するとか、それってなんの意味があるんだろうって。

まあその瞬間を大事に、ですよね。
一時一時を満足して生きる。
それに代わるものはないんですから。
カッコ悪くても、嫌われても、一歩ずつ進めていくしかないんですよ。

俺はこんなくだらないブログでも書きたいことは心を込めて書いてます。
自分のためと誰かのために。
もし云いたいことがあったとき、心が込められていないなら誰にも云いません。

だから別に美意識で良いんですよ。
ただ他人にどう思われているかじゃなく、自分で自分をどう思うのか。
今の自分がアツく満足でそれなりに幸せに生きていれば、人生には価値があると思うんです。