くうちゅうくらげ

-A Boys Named No.28-

きれいごと。

今日はあまり書くことがないので転載します。
これはある日、自分が書いたミクシの日記からの転載です。


人生にもし「どん底」という場所があるとしたら、今が正にその時だと思わないでもないのが最近で。どこからどう切り取っても「負」の部分しか表れないほど、実に危険な綱渡りをしている自分の背負っているものが「負債」だと云ったらあまりにも上手すぎるのではないでしょうか。

人生で散々反省する場面があり、それに対して謝罪してもしきれないほど、生きている間では絶対に成し遂げられないこと。それと同時に逃げ切れないという状況に陥ったときにどうしたらよいかと云えば、もちろん「切腹」以外のなにものでもないのですが、一体そんな人間のことを何が引き止めるのでしょうかと聞かれても胸を張ってこれだと云えるものも何一つ無い状況です。

…と、そんな感じでこの数ヶ月を生きてきた俺なのですが、x月9日の夜20時頃に散歩をしていてある出来事に遭遇し、転機が訪れたのでそれだけ聞いてください。

俺は仕事を上がり、「アーリータイムズ」という皆さんご存知のバーボンのビンを片手に外をぶらぶらと歩いていました。ココのところ酒がないと寝れないのです。あっても寝れないですが。とりあえず色んな事をウダウダ考えながら徒歩10分くらいの場所に来たときに、突然の訃報が届きました。

友人の死は、ずっとずっと先の人生に起こるものだと思っていたのに、なぜ、こんなに早くから、次々と友人の命が消えていくのか、俺はどうしても納得がいきません。

その友人とは夢を語り合った仲でした。本当に惜しむながら葬儀に参列しました。深く哀しむ友人の父と話をしていたときに、彼の会社の人でありき人が「xxさん、息子さんを死なせてしまって、すいませんでした」と云っていました。それに対して友人の父は「そんなことないよ、いきなりだったなあ」と、共にただ泣くだけで言葉になっていませんでした。その後、彼の弟が「お父さん、お兄ちゃんはどこへ行っちゃったんだろう」と呟いたそうです。

そして、家に帰ってから、俺も泣きました。本当にこの日はもうこれ以上は無いほど泣きました。それから酒を飲んで、更に泣きました。22年分と云っても過言ではないです。おかしな話でしょう。

俺はその理由をずっと考えていました。それに対して、やっと自分なりの答えが出せたというか。

わからないですが、俺はただ歩くこと、知らない場所へ行くことにワクワクしていた頃のことを忘れていたのではないのかな。友人と話をする幸せや、家族がいることの安心感、そういうかけがえの無いものを、俺は仕事や生活に感けて、蔑ろにしてきたんじゃないか。

そう考えたときに、ふと、俺は今一度、自分の人生に賭けてみようと思ったのです。
だから俺は無い脳みそを抱えて、とりあえず考えることにしたんです。本当に自分の生きたい路は何処で、そして何なのか。俺は考えなくてはいけない。俺が彼に報いるものは何か。

一体どんな繋がりになっているのは俺にも全く理解できませんが、とにかく俺は色々な人と関わってはいけない人間に思えてきたのです。例によって根拠は何もありません。しかし、何か変えるならこの時ではないかと。

はい、綺麗事です。でも綺麗事でも良いでしょう。その事があってもなくても、自分はこのままでは絶対にいけないという確信がものすごくあって、きっかけと云えばきっかけなのですが。


以上。
次回からは、出来るだけ「談笑」のカテゴリの記事を書いていきたいものです。