くうちゅうくらげ

-A Boys Named No.28-

傷ついた眼で。

仕事の休みが全く取れないのですが、せめて小旅行に行きたいと思ったのが先週のお話。
こう、思いついてしまうとウズウズしてしまって心だけが遥かなる地への夢想へ走り、身体は東京の雑踏に置き去りになります。
そして息苦しくなりますので、無駄な妄想は使えないですね。魂は天国、頭は地獄。

ところでこの間、仕事をサボりながら世界の美しい写真を貼ってあるサイトを見ていたんですが、一枚の景色に気を取られまして。

あ、もちろん拾いものです。(参考:壁紙Link 「マッケンジー・カントリー(ニュージーランド) McKenzie Basin, New Zealand」)
詳しくチラベルト、いや、調べると、ニュージーランドのマッケンジー・カントリーという場所らしいんですね。
で、まあニュージーランドはこの先行こうと思っていた場所でもなかったですし、多分生きているうちに行くこともない場所なんじゃないかと思っていましたので意外も意外なんですが、むしょうにいきたくなりました。
英語通じるのかな。
それと、こちらも意外にもですが、観光費は安いようです。1週間いて10万くらいぽいです。
気が向いたら年明けごろに行ってみようかなと思わないでもないですね。

別になんてことはない話なんですが、こうも年を取っていくうちに、人生でいける場所なんて本当に限られるんじゃないかなと思い始めるようになってきたんです。
それは行きたいとか行きたくないとかそういう類の話でもなくて。

喩えば、僕は今東京にいます。
九州や北海道なんか、行こうと思えばあさってからでもいけます。
中国や台湾だって来週にでも行ける。
でも、きっと僕は行かないんでしょう。
もしかしたら、九州の予定を変更して大阪に行くかもしれない。
台湾の予定を変更して、アメリカに行くかもしれない。

子供のころは“いつかはどこにだって”行けるって思ってましたから。
でも実際は行けない場所、行かない場所がたくさんある。

そう感じるのもきっと、僕はいつか死ぬって自覚したってことでしょう。
当たり前のことですけど、実は人生って限りがあったんですね。
それが良いことなのか悪いことなのかはどうでも良いです。

人との出会いもそうかもしれないですね。
70億人いても、会うのなんてこの先100人いるかいないかですから、きっと。
多くても1万人でしょうかね。

こちらの望む望まないは別として、場所や人との出会いは大事にしたいもんです、ほんと。
そう考えると、このブログをたまたま発見して見てくれている人にも感謝ですね。


説明遅れましたが、この「水母」のカテゴリで書くエントリは、ただの雑文日記だと思って下さい。
言葉で表現すると「くらげゆらゆらくらげゆら」です。
顔文字で表現すると「(・Д・)」ですね。
他のカテゴリは適当にジャンルぽく分けてるだけなので気にしないで下さいね。
それと、どうでもいいことなんですが、「掃き溜め的なもの」は併設のコチラ→(くうちゅうくらげ)に投下しているので是非。

さて、スッピツ、いや、スピッツの「遥か」でも聴きながら、今日も無駄な一日を終わりにしたいと思います。
※禁酒してます。実は最近焼酎の夢を良く見ます。