くうちゅうくらげ

-A Boys Named No.28-

サンフィッシュの墓。

クルクルと晴天が近づいてきたが、悲しみの空が俺の真上をまた回る。

急遽葬儀に行ってきた。場所は北海道。

2011年10月24日に、仲良くしていた友人が病気で急逝した。23歳だった。

小さくて綺麗な子だった。元々の出会いは、俺がまだジャズバーで仕事をしていた4、5年前の話。彼女の方から声をかけてきたのがきっかけだった。東京には元々全然友達がいないということだったので、それから程なく、互いの休日にジャズバーや野球観戦や買い物などに付き合っていた。

一番の思い出は彼女の留学時に宿泊先として利用させてもらって、友人とアメリカ旅行へ行ったときのことだ。サンフランシスコ、リバーサイド、ロサンゼルス、サンアントニオ、ダラス、ヒューストンまで車でまわり。更にシカゴやセントルイスなどにも行った。

当時の俺は名実共に傷心中の身であった為、話を聞いてくれただけでも非常に有り難い存在だった。会話は映画や音楽など趣味の話が大半で、非常に貴重な時間を過ごさせてもらった。自宅に案内されて、家族ぐるみで遊んだこともある、数少ない友人だ。元気で明るい子だった。

そしてあの子も色々な悩みや思いを抱えており、複雑で、ガラスのお姫様のような子だった。

そんな身近な人間の急逝である。心底穏やかではない。

その葬儀でのこと。実に華やかに誇張されたモノクロの花束の下には棺。見守る数人の人は、とても多いとは云えなかった。燭台には数々のかがり火が並べられ、数々の命を照らすようだった。

越冬できぬスワローは写真でも棺内でも笑顔を浮かべ、周りの人々の目には大粒の泪。俺は多分どこからどう見ても“その他大勢クラスタ”に身を潜め、静かに魂が天に昇るのを待っていた。天照大神が彼女を見送った後に振り返ると、父と姉妹は泣き崩れ、その場所は悲壮な空気に包まれていた。おやすみ、スワロー。

デジャヴ。俺は数ヶ月前に、同じような記事を書いたばかりである。その時は、まだ元職場の人間で年齢も30歳越えであったので、まだマシだった。

ツイッターなんかフォローしてくれてる人はわかると思いますが、やはり若干凹んでいます。ですが、こんな時こそ自分の場合はエントリ数が増えるとも思いますので、それはそれでいうことで。

今日はさすがに禁酒云々云ってないで、死にかけるまでアーリータイムズ飲もうと思います。アーリータイムズに塩の結晶が入ってしょっぱいです。