くうちゅうくらげ

-A Boys Named No.28-

アメリカ、ミズーリ州、PM17:30。

12歳頃の話だったと思う。アメリカはミズーリ州、ミシシッピー川沿いの田舎町に父の仕事でついて行った。季節は、晩秋だったろうか。見渡す限りの麦野原を走り回る少女の横を重たい色で過ぎる影。やがて農家に吹く風は凪ぎ、俺は有り難き建物に招待され、神父のお言葉を聴く。とても聡明な御伽を聞き、ロザリオを貰う。そして大事な一言を頂く。その大事な一言が、どうしても、思い出せない。

永遠ってやつを考えたことあるか?よく“永遠”と云うだろ。どういう意味だ?例えば、空なんかは、永遠だという。空は永遠か?空って何だ?何かが見えるわけじゃない。そりゃ空はどこまでも青い。夜になれば星が輝いたりするのかもしれない。だが望遠鏡でも永遠は見えねえ。なのに、どうやって分かる?永遠かどうかだよ。どう分かる?

この街からすぐに出たい気持ちは変わらねえよ。けど、外でも中でも、感じることは同じだ。そんなこともわからないまま、致死率100%の生という病を抱えて街道を歩く少年には何が見えるだろう。永遠ではないが、それに事足りる“何か”があるとしたら、それは。

言葉なんて大して重要じゃないように思える。大事なのはイメージだ。人生はイメージの結合体。何度も云ってきたことだけど、俺は目に見えることよりも、感じることを信じたい。自由はいつも俺の心の中にある。

つまり、そういうことだったんだろう。

いつか見た景色に戻れないとしても、今は、この場所で。掌に星を乗せながら、夕焼けが堕ちていくのを見たいと思う。