くうちゅうくらげ

-A Boys Named No.28-

夜光虫とくらげ。

またラウンジでの演奏にお誘いされたので行ってきました。

帰ってからただただなんとなく、PCのメールボックスを見てみると、数々のジャズバーから演奏のお誘いが来てました。
古いものなんて、9月17日のお誘いで、うーん、9月っていつだ、もう何年前だ、なんて考えている辺りはもうすでに仕事廃人と化していることを認識させる深夜です。

俺がドレミをようやく覚えたちいさなくらげ時代に、演奏が聴きたいと云った初めての人は母さんでした。
父さんは上手くなるまでは絶対に聴いてくれませんでした。

そんな俺が最初に覚えた夜想曲は、フレデリック・ショパンの「ノクターン第2番変ホ長調 9の2」、所謂9-2。

ほら君は昔からアホみたいに何を弾いてもスゴイスゴイと云ってくれたので、何がスゴイのかよくわからないけど、気分が良かった。
思いつきで「ラプソディ・イン・ブルー」なんて弾いたときは、「のだめのだめ」と喚いていたが、のだめってなんだ。

俺が大好きな曲はドビュッシーの「アラベスク
それは過去に「お前の曲じゃない」と父さんに虐げられた曲。

何度か必死に譜面にかき集めながら、それこそ何か一種の物語を書くように、逃避していた時期もありました。

今日もそれらを適当に弾いていたら、家族と来ていた一人の少女に「それなんのきょく」と訊かれました。
まあ、俺は所詮“諦めた人間”ですから、自分の作った曲にタイトルなんてつけていません。
それでも教えたくなるのはなぜか。
俺には無理だって、もう自覚しているのにね。
それにしても「くらげの舞踏会」はなかったんじゃないかと反省。

今は詩のないものを演奏し続けています。
言葉のないところには毒はないから。

家に帰ると、俺はまた誰かの為に曲を作れるのかな、なんて想像をしています。
すると、なぜか途中から弾いている曲がゲームのBGMっぽくなります。
そこで大体演奏をやめます。

関係がないですが、職場で手に負えないくらいの仕事を押し付けられて、回避できたのに回避しなかったところあたりから、俺は世界でたった独りになろうとも、「お願い」をしない人間だということに気付きました。
思えば家業を継がないと宣言したとき、父さんに家をたたき出されて、寒い真冬に3日くらいホームレスのようにふらふら外をのた打ち回っていた時に、初めて母さんに「お願い」したことが、「金を貸してくれ」
よく考えたら、それ以前も以後も、人に「お願い」をしたことなんて、思い出せないので、たぶんないってことなんでしょう。

Keaneはやっぱりいいですね、さすがに意味がわかっているとは云えども、異国の言葉で俺の心的外傷までは引き出されない。
だからいつもヒマな真夜中に謡いたくなったら、Keaneばかりを弾きながら謡っています。
くらげみたいに手をウネウネとさせながらね。

タイピングしているときは、大体酒で手元が覚束ないです。