くうちゅうくらげ

-A Boys Named No.28-

おとしもの。

外が明るくなってくると、テキストが書きづらくなってくるんですよ。

彼らは俺に対して「何か重いものを引き摺っているんじゃないか」って思ったりするわけですけどね。
憂鬱だったりはしないわけです。
鬱々としている、と、哀しがっている、のそれは違いますから。

公開しているものを「見られたくない」なんて、実におかしな話です。
なので書いている以上はもしかしたら誰かに見られたいのかもしれません。
その欲望の大小はあれ。

その欲望が度を超したとき、俺はこの間書いたような“本来誰にも知られたくはないこと”について、また描き始めるのかもしれません。
その理由はきっと狂っているからです。
たとえばあの赤い妖怪さんなんかは相当に狂っているテキストを書いているような気がするのですが、大丈夫ですかね。

いや、大丈夫なんでしょう。
俺は仕事もしているし、人とも話せる、考えなければ至って健全で健康的です。

それでも、この「考えなければ」っていう思考こそ不健康の根本だったりしますからね。
俺は実際にそうでした。

考えなければ、と、考えていれば、の両方を永劫と繰り返して生きてきたからこそ、俺はこの世の中の(あくまで自分に対する)闇っていうものを知っているはずです。

闇というのは大抵の場合は光の裏に発生するものですから。
光のど真ん中にいても、影は落ちる。
そしてそれは相も変わらず哀しいことなんです。

だから彼も大丈夫でしょう、俺が言及するようなことでもないのですが。

何で窮屈になってくるかって云いますとね、それは自分がわがままなんだからだと思いました。
何かにつけて、最後には気にするのは自分のことだからです。

一言にまとめたくないですし、一言にまとめられたくもないんです。