呉市で起きた少女の犯罪とか。
そういうことについて考えていました。
んでこのテキストはというと、ただそれを下敷きにしただけのぜんぜん具体的じゃないただの自分語りなんで、凄い的確な批評とか感想とか見たかった人はすぐに去ってください。
というかはてなさんはそろそろ僕のブログをおすすめとかに表示するの冗談抜きでやめてくれねえかな。
肝心の事件自体は「とんでもなく凄まじい」くらいの感想しかありません。
というかそこまで詳しく知らない。
さて。
早速あまり大きな声で云ってはいけないことだと思うけれど、僕は24歳にして喫煙歴がそろそろ10年になろうとしています。
そして、16歳の頃に初めて入れ墨をいれました。
この上に書いた部分だけを見ると、たとえば世間で云うところの不良だとかDQNだとかよくわかんない単語になってくるのだと思うのだけれど、自覚的にはぜんぜんそんなことはなくて、殊更にいえば、力学的なやり合い(かっこつけたけどいわゆる喧嘩とか殴り合い、どうせ()で言及するならはじめからそう書け)っていうのは、実は人生でほんの数回しか経験したことがありません。
それこそ小学生以降なんかは、ないんじゃないのというくらい。
まあそれとは関係がないんですけど、たとえばこのタバコだとか入れ墨だとか、僕は興味ないけど、バイクや改造車や喧嘩っていうのも、かっこよさの代名詞なのかっていうとぜんぜんそんなことなくて、むしろ今の人なんか「かっこわるさ」の代名詞になっているのかもしれないです。
僕の友人なんかも「タバコ吸う人は嫌い」とかそういう人が大半です。
まあ肝心の僕も、ゴリラみたいに常々暴力振るってる人なんかを見たり聞いたりすると、もの凄くかっこわるいと思います。
で、当然、タバコ吸ってたり、入れ墨してる人とか女に致命的にモテないです。
そりゃ好きな人もいるにはいるんですけど。
でも僕はそのあたりはかっこいいと思っちゃう節がある。
それは何故なのか。
なんだか上手く説明できないんですよね。
僕はというと、若い頃に少なからず思っちゃういわゆる「間違った強さ」の象徴としてタバコ吸ってたり、入れ墨入れたわけでもないんですよ。
どうでもいいですけどタバコは、映画なんか小さい頃から好きで、確かマイケル・マドセンだったか、ブラッド・ピットなんかがとある映画で吸ってるのをみて「かっこええのお」と思ったからだったような気がしますし、入れ墨なんかはほかでもないWWEのランディ・オートンやサッカーのベッカムなんかをみて「かっこええのお」と思ったからだったような気がしないでもない。
でも何故かマフィア映画とかプロレスとか凄い好きなわりには暴力がかっこいいと思えなかったんですねえ。
いや確かに映像で見てる分には爽快だけど自分で「やってみるか」とぜんぜん思わなかった。
でも入れ墨とかは映像だけでは飽きたらず「やってみるか」と思ってしまって実際にやった。
まあもちろん、入れ墨は直接的に相手が痛い思いするわけでもないし、タバコも喫煙所で吸ってる分には、誰かが嫌な思いをするわけでもないという点で暴力とはかなりの違いがあるんですけど。
それをわかった上で、これ自分でも、もの凄く不思議なことだと思ってるんですよ。
当然そういうのって教養っていうか、たとえば幼児虐待をされてた人はサイコパスになりやすいとかそういう類の話でもあると思うんですが、じゃあ「暴力はだめなんだよ」って上手く教養されてたはずの人間が「じゃあ入れ墨は大丈夫でしょう」とか思うのってどんな理屈だよって話ですよね。
ふつうの人はそんなの入れないわけで。
タバコやめないと女にモテないってわかってて、それに最近胃がやばいのに吸い続けるってどんな馬鹿ですか。
まあタバコはニコチン中毒っていう医学的にしっかりとした理由がある以上やめられないのがあるとしたって。
そういうことに疑問を持った挙げ句にも、未だに入れ墨とか格好良く思ってるって、どんな馬鹿ですか。
たぶんだけど、こういう風に疑問に思いながらもやめられないというか一種「これはかっこいいものである」という間違った信仰を持って生きてきちゃった人は、一定数いるんじゃないかなって思いました。
たとえば僕の場合は運良く暴力とか犯罪にいかなかっただけの話で、もしかすると「人殴るのってあんま良くないことだとわかってるけど、かっこいいよな」とか「銀行強盗とか犯罪だけどかっこいいよな」とか思ってる人だって一定数いたってぜんぜん不思議じゃないからです。
まあそれを思ったところで、実際にやるやらないはそれこそ教養や理性ってものなんだと思いますし、それでも実際にやっちゃう人がいて、そういう人がニュースとかに出てくるっていうのも事実なんですけど。
ものすごく飛躍した話をしますが、そう考えると自分が親になるのってめちゃくちゃ怖くないですか。
僕は怖いです。
ただでさえ自分の両親とかたぶん僕が出来た時に「14歳で喫煙、16歳で入れ墨、しかも従姉妹と恋愛をする」なんていう恥さらし中の恥さらしな構図は多分全く思い浮かばなかったはずで、まあそういう意味でも僕は失敗作でしかないんですが、だからこそなおさら怖いです。
そういえば、そもそもこのテキストはこの間からちょいちょい騒がれている、LINEかなんかでこじれて、16歳だったかの友人をリンチして殺しちまったという痛ましい事件を下敷きにして書いているんですけど。(気付くのが遅すぎる)
あれだって自分の子供がそんな風に平気で人を殺せるっていうことを予期できたのかなって思うと、すげえ怖くないですか。
いや予期してなかったとするとなおさらに怖いですよ。
自分の子供とか、僕が「入れ墨はセーフですね」と思うのと同様の考えで「人殺すのはセーフですね」とか思う可能性だって大いにあるわけで。
僕はというとなおさらふつうの人よりも、そういうものも許容しなきゃいけないのかなっていう立場というか生き方をしてきちゃったので。
「父ちゃんの入れ墨がセーフなら、ウチが人殺すのだってセーフだよね」とか云われたら、すげえ怖いですよ。
それはぜんぜんセーフじゃねえぞ、と胸を張って云えるだろうか。
いや、云わなきゃ絶対だめなんですよ。
たとえ、自分がクズだったとしても。
だって、それ以前にそこまでちゃんと予期した上で子供育てるって大事じゃないですか。
子供なんてバカバカと作るもんじゃないですよ、絶対。
子供が大人になった時のことまで、大人が計画することじゃないと思いますけど「だめなもんはだめなんだ」ってくらいはちゃんとやらないといけないんじゃないかと思いますよ。
「おまえ、フライを打ち上げて野手が取ったらアウトなんだ、だからたかだか内野フライで、取られた後に3塁まで走っちゃダメだってば!」とか「女が別れ際に、xxくんと付き合えて良かったよ、私みたいなダメ女でも相手にしてくれてホント幸せだったんだよ、とか云うのはただ自分に酔ってるだけなんだ!そこでしがみついちゃダメなんだ!ありゃ多分浮気してるんだ!」とか「女の云うまた今度は信用しちゃダメなんだ、また今度ってのはずっとさようならと一緒なんだ!」とか。
と意気込んでみたけれど、云えるか云えないかは別として、上記に書いた通り、僕はそこんとこに結構致命的なほど自信がないんですよね。
いくら云ったって、僕が「知らない内にタバコ吸ってた」と同じ感覚で「知らない内に人殺してた」とかあるのかな、と思うと恐ろしい。
こういうのってむしろ、そことはぜんぜん関わりのない世界で生きてきた人よりたぶん強く思ってる。
だから「結婚したら幸せで子供出来たらもっと幸せ」って思えるかって云われると、凄い確率で否定すると思う。
いや、むしろ、だからこそ本気で好きな相手(気持ち悪いけど)と結婚して子供作んなきゃ多分だめです。
少なくとも僕みたいな人こそ、そうじゃなきゃだめな気がして仕方ないです。
ああ、もうこういう恐怖と戦うくらいなら挿入無しの風俗の方がぜんぜんいいです。
(凄くいい加減に説明しちゃったことになってたけど、僕が風俗に頼ってふつうの恋愛しないのもこういう弱さが理由)
こういうこと考えられるだけで僕は「セーフ」なんでしょうか。
そうだと思いたいです。
まずそんな相手がいなかったので、少なくとも今はセーフでした!
なので、その前に、かわいい彼女が欲しいです。
どうして書いた文章全てをわざわざ自分から無駄に杞憂にするんだろう…
というか、こういうことを踏まえた上で「信用ならない」僕にかわいい彼女がいないんだとしたら、それはそれで女ってのは凄く恐ろしいです。
俺より信用できない男なんてたくさんいると思うんだけどなあ…
そういう奴からさっさと結婚していくところあたりが、僕がこの世でもっとも恐れているところでもあるのですが。
いや今回下敷きにした事件がそうだってわけじゃないけど、世の中にありふれている「教養された」若者が「教養されてない」若者にゴミみたいに殺されるって、ましてやそれが自分の子供だったりしたら、なんかすげえやりきれないよね…
そんでその「教養されてない」方がまだ救える余地がある(そいつはムショから出て人生やり直せるけど、殺された方は存在自体がなくなる)っていう部分も踏まえて…
と思うと同時に、想像力が豊かというか妄想力が広大というか、ただそれだけのことだとも思いました。
なんか疲れたからとりあえずこれからよだれたらしながらオールスター見る。