くうちゅうくらげ

-A Boys Named No.28-

期待という羞恥。

ここ1週間くらい、無駄に気合いを入れてテキスト書いてたんですけど、やっぱり慣れないことはするもんじゃないなと思いました。

テキストなんてうんこしたついでに5分くらいで書けばいいと思いました。

なので5分くらいで日記を書きます。

 

行きつけの喫茶店の店長らしき人物に、顔を覚えられてしまいました。

いや別に、僕がレオナルド・ディカプリオに激似だからという理由ではなくて、単純に暇すぎて通っているからだと思います。

注文をする前に「アイスコーヒーMサイズでいいっすか?」と向こうから云ってきます。

僕は元来ひねくれているところがあるので、こういう聞き方をされると「いや、今日はカフェラッテでいこうか…」とかっこつけたく気もしないでもないのですが、カフェラッテは不味いので仕方ありません。

もう僕はここではアイスコーヒーしか飲めないでしょう。

 

そういえば、家の近所のコンビニでも自分の買うタバコを把握されていて、僕がレジに行くなりタバコを用意してくれるという高待遇です。

まあそりゃあ、ハリウッドデビューを秒読みにしている僕ですからそのくらいのサービスあって当然と云えば当然ですが、別に近所の喫茶店やコンビニで顔を覚えられたくらいで喜ばしくもなんともありません。

 

ここは僕のシマなんですから、街を歩くだけで、かわいい女の子から「28さん これからデートしませんか」と云われるミラクルくらいあってもいいんじゃないかと思います。

 

あってもいいんじゃないかと思います。

なきゃおかしいんじゃないかと思います。

凄く思います。

 

閑暇に堪えることは難しいことであります。

 

で今日は、なんていうか、思考にも若さっていうのがあると思ったんです。

たとえば根本的に考えてることって、年齢を重ねてもあまり変わらないとは思ってはいるんですが、僕の文章も次第に年を取ります。

とはいえ、僕なんかもわりと考えてること自体はあんま変わってなくて、自分に都合のいいエンディングを期待してるっていう根本的な点では小学生のころから変わってないんですが、そのエンディングの形ってのはだんだんと変わってくる。

 

まあ、気付くんですよ。

僕はビッグになれることもなければ、夏だってこの先良くて50回くらいしか迎えられない。

所詮この程度なんですよね。

 

たとえば、小さい頃は「嘘つく人は嫌いだ」とか良く云うんですよ。

僕も少しは思ってましたねえ。

んで、まあ昔の友達なんかが好きな人のタイプを語る時に「嘘をつかない人」とか云うんですわ。

「優しい人」とか云われちゃうともう突っ込みどころが満載なわけで、突っ込むのすらめんどくさいと思ってしまうわけではありますが。

僕も優しい人は好きですよ。

たとえば僕がセックスしたいときにしてくれる優しい人とか、僕がお金に困った時にお金くれる優しい人とか、死にそうな時に代わりに死んでくれる優しい人とか。

まあ「優しい人」なんて所詮そんなもんですよ。

 

僕自身がかなりひねくれているのも多くあるのですが、恋愛事なんて騙し合ってる時が一番楽しいんですよ。

もうこのレベルまでくると「嘘は美しい」んです。

でもまあ美しい嘘はあんまり長引かないので、人はだいたいそのうちほんとのことを話し始めます。

そうなったらお互いに興ざめです。

後は朽ちるのみ。

「愛が腐っていくところ」を見るのはそれはそれで美しいです。

人生というものは、いかに有意義に暇を潰せるかが課題であるので、まあいい気分にさせてくれるなら嘘だろうがほんとだろうがどうでもいいって云うのが実際のところです。

ちなみに端っから女の子にこういう話をするとそれこそ興ざめなので、「今まで会った中で君が一番美しい」とだけ云っておけばいいです。

あとは成り行きです。

世の中のほとんどは嘘で構成されてます。

僕がビバリーヒルズで生活してないって時点で世界が嘘ですから。

 

要は人生ってのは経験から裏付けされるものが多いので、風俗もキャバクラも行ったことない40歳より、夜遊び漬けの24歳のほうがそっちの事情には詳しいってもんです。

 

世の中にはたくさんの人がいます。

たとえばMLBの最多安打記録を簡単に塗り変えてしまうような人もいれば、なにが悲しいのか他人のうんこをひたすら食えるAV男優なんかもいます。

それだけ多種多様、様々です。

当然、イチローなんかは他に代わりがいないでしょうし、人のうんこを喜ばしそうに食える人もそんなにいないと思いますので、彼らの存在意義というのはそれなりに確立されたものがあります。

 

自分が何者か。

この手の疑問はたくさんの人が小さな頃に抱えるでしょう。

そしてそのことは僕のようにいつまでも忘れられない人もいれば、知らない内に「どーでもいいや」と思って考えない人だっていると思います。

 

しかしまあそれにしたって、ここで僕が北斗の拳みたいにいきなり爆発して内蔵が飛び散った所で僕の代わりみたいな人はたくさんいるんだろうなと思うとたまに切なくなります。

だからってMLBで活躍するのは僕では無理ですし、うんこをひたすら食うのも勘弁してもらいたいところです。

 

じゃあ自分がかけがえのないものになるためにはどうしたら良いか。

これってけっこうシンプルなものだったりもします。

たとえば誰かに必要とされるとか、そういうことでいいと思います。

でもそのシンプルなことがかなり難しいこととも云えます。

今までの人生、誰かから必要とされたことがあったのか。

それを考えるとあまりにも切なくなってしまうので、まあ幸せな人なんかはセックスして忘れちゃうのかもしれないですけど、僕の場合はオナニーに頼らざるを得ないというのが現状です。

 

そこで毎度思っていることを再度思い出します。

僕がこれからの人生で関わりを持つ人って、思ったよりも多くないはずだということです。

テレビの世界では様々な芸能人だとか外人だとかを見るんでしょうけど、実際に関わる人ってきっと多くて200人程度のもん。

もしかしたら10人くらいかもしれない。

今まで関わってきた人もいても300人くらい。

 

そう考えたとき、このおおよそ500人程度の直接関わる人たちから必要とされればいいんではないでしょうか。

 

うーん、500人か。

なんか自分で無駄に語って無駄に自信がなくなってきました。