くうちゅうくらげ

-A Boys Named No.28-

数々のブログの閉鎖。

あまりにも暇な時間があったので、昔からお世話になっていたブロガーさんたちの所を訪問しようとしました。少し前にPCを替えてしまってからブックマークが消えた事によって長いこと訪問していないページがたくさんあったので、覚えてる限り検索して訪問しました。どうせ暇だから過去のものからガッツリ読もう…なんて思ったり思わなかったりしてたんです。しかし実際、中にはほそぼそと続けている方もいらっしゃいましたが、ほとんどのブログが閉鎖、もしくは更新ストップといった状態に陥ってました。

 

ブログの閉鎖。何度も目の当たりにしてきたことなので、別に今更驚くことでもないんですが、やっぱりなんか無性に空しさが募ります。しかもほとんどの人は更新してない理由は書きません。むしろ理由すら書かずにぱたっと終わってしまっている所を含めて「終わった」という思いを募らせます。理由を無駄に書く人は無駄にいつか戻ってきます。それぞれ理由があるんでしょう。「仕事が忙しくなってしまった」とか「結婚してしまった」とか「飽きた」とか「性病を移された」とか…。

 

で、今日はなんでやめちゃうか、ということをテーマにちょっと考えたりしてました。というか過去にもお世話になってるサイトさんが潰れたりする度に思うんですけどね。

 

僕はブログを書くのって難しいことだと思ってるんですよ。書く内容などはもはや関係なく、書き続けるという行為自体がもの凄く難しいと思ってます。もちろん芸能人とか何か無駄に収益でちゃってる人とか、仕事でやっている人は例外です。あと、何かのニュースに言及したり、レビューとか趣味とか書く人はいいのかもしれないですね。そういえば、たまにあっちでも更新こっちでも更新というせわしない上に無駄にアグレッシブな人っていますね…。

 

一時期は僕もtwitterとかやってたりしたんですが、あれやってると結構ストレートに気付きます、というか気付いていた事を自覚させます。

 

「人生のほとんどは文章にするまでもない下らない出来事で構成されているんだ」と云うことに。

 

いや、なんか常日頃から壮大な夢や希望を持って生活しちゃってる人なんかは違うかもしれないですけど(子供がいい例)早い人は中学校くらいから感じ始め、遅くても大学生以上の年齢ともなれば、ほとんどくだらないって事に気付くはずです。しかし、気付いていながらそれを自覚するチャンスとかって結構無い。でもあのtwitterとかいうやつは常日頃から身の回りの人、たとえば友達が何してるだとか、今日誰が離婚しただとか、そういうものが少ないまでも「文章」で押し寄せてきます。そしてそういうのについて言及したり、突っ込んだり、話し合ったり、笑い合ったりしてると、それだけで「日常を書き、誰かに聞いてもらう」というささやかな目標が達成されてしまいます。なので、アレにハマっちゃったりしたらブログはほとんど書けなくなると思います。特に僕みたいなジャンル(くだらない日常というジャンル)の人はほとんど何も書けなくなります。実際、僕もあれを頻繁に利用していたときは記事なんてほとんど書きませんでした。というか書こうとすらあまり思いませんでした。

 

もちろんこれは善し悪しの話じゃないんで、それで「これでブログ書く必要ないじゃんラッキー!」と思う人もいると思います。

それはそれで良いことだと思います。だけど僕の場合は「これでブログなんて必要なくなっちゃうのかぁ」と思ってしまったタイプだったので、あんなのやめてこっちを主戦場にすることにしました。

 

僕は自分の日常を「くだらないこと」程度で風化させたくないんです。「これは自分にだけ赦された特別な日常なんだ」と思いたいんです。自分の人生を大袈裟にしたいんです。

 

そもそも「ブログを書く」この行為自体が特異的で非常に奇異なものだとも思います。「読む」という行為もそれと同じで奇異なことです。同窓会とかで聞いたとしたら(呼ばれないけど)書いてる人は多くても100人中7、8人くらいじゃないでしょうか。

 

書く人。それはいくつかのタイプがあると思いますが、商業的な観点の人は放っておくとして、僕なんかは「読まれなくてもどっちにしても自分のためになるから書くけど、どうせなら誰かに読んで貰った方がいい、けど読まれる為の努力とかは別にしない」というタイプです。

ほかの人はよくわかんないのですが、この「自分のためになるから」って人は結構いるものと思われます。

 

まあブログなんかでアクセス数が多いのはたぶん何かのニュースに言及している人や何かの趣味や才能に特化してる人なんでしょう。

そりゃ需要もあるし、見てためになるからです。そしてただ自分の日常を淡々と書いてる人(今日どんなメシ食ったとかそういうつまらないやつ)は誰も見に来ません。

 

しかし、みなさん「見てためになる」ってなんなんでしょう…。そりゃバイクとかぶっ壊れた時にバイクの直し方とか紹介してくれるブログとかは有り難いのかもしんないですけど。たとえば総理とか大臣とかがなんかやらかしたりして、それに対して必死に弁論してる人とか。あれって「ためになる」ってやつなんでしょうか。

 

僕はつまらないやつの方が好きです。だけど、そういうつまらないやつから先になくなったり更新がストップします。これは当たり前のことです。「誰にも見られない」から、だんだんむなしくなってきたり、意味がないと思い始めるのでしょう。でも無駄に云わせて欲しいとしたら、そういうむなしくなった後のこと、意味がないと思い始めた後のこと、っていうのが一番大事なんです。僕なんてもうずいぶんと前からむなしいですし、意味もないと自覚してます。それでも続けます。毎回誰のためにもならないようなクソ日記を更新してる僕が云えることでもないような気もしますが、いつの日か、これが自分のため、もしくは誰かのためになることを願って。(こういうこと考える奴は大抵自分に酔っているだけの奴なのでみなさん気を付けましょう)

 

まあブログなんてTVと違って勝手に目に入ってくるものじゃないんで、少なくとも自分から動き出さないと見られないものですから、好きなものを好きな時に好きなだけ見ればいいと思うんですけどね。

 

「よーしやるぞ」と立ち上げてから3日も持たずに終わってしまうような悲しいブログも多々あると思うので登録者数に関しては増えたりもするのかもしれませんが、本当の意味で「ブログ書いてる人」ってこれからどんどん減少していくんでしょうね。

 

ただお気に入りのブログが消えた空しさを吐き出すためだけにダラダラと書いてしまいましたが、よく考えたら万人に適用するどころかもはやこれですら、むしろ自分にしか適用しない話になっている気がしないでもないです。

 

ここまでダラダラと書いて、自分のことを頑張ってるなんて云っちゃうとおこがましいですし、嘘になります。でも何年も大して意味のないことを書いているブログなんかをたまに見かけると、スゴいなって純粋に思います。そしてそのブログをそっとブックマークします。だからこそ思います。金玉が今にもはちきれそうなくらい盛大に思います。

 

「みなさん、頼むから更新をやめないでおくれ…」と

 

これからはちゃんと見てますよということをアピールするためにコメントとかスターとかちゃんと残すか。日々のこととかなんの取り留めもないことを無駄に必死で書いてるようなくだらない人のくだらないブログ界がどうか衰退しませんように。

 

こういうものは向いてないのでしばらくこの手のものは書きません。