くうちゅうくらげ

-A Boys Named No.28-

我ら自身の義務。

 

共同でありうるものは、常に価値が少ないものである。
結局、今あり、今までにありしがごとくに、これからもあらねばならぬ。
すなわち、偉大なる事物は偉大なる人間のために、深淵は深き者のために、繊細と戦慄は優美な者のために。
要するに、希有なるものは希有なる人間のためにある。

フリードリヒ・ニーチェ 「善悪の彼岸」

 

ここ数日くらいの間「そろそろ死にますかね」という無駄な気分になって、痛くなくて死ねる方法とかネットでいろいろと調べてたけど、どれもなかなかしっくりこないし良く考えたら僕には家族とかうさぎとかいるので、そんな簡単に死ねるもんじゃないなって思った。そんで今日起きるまでなんだか凄くストレートに自分が死に直面する夢見たんだけど、なんか凄く生きたがってんの。死にたくねえとか叫んでんの。しかも友人とか犠牲にしてまで自分生きようと思ってんのよ。情けないよね、ほんと。だから気付かないうちに事故とかおきないかなーって数年前から何度も思ってはいるんだけどさ、こういう自分勝手な考えをしてる人ほど簡単に死なないよね。はてさて。

話は変わるけど、世の中には多分一定数いるんだと思う。生まれてきた環境も境遇も、それを取り巻く友人や恋人や仕事なんかにも恵まれているくせに、自分は世界で一番不幸で、世界で一番大きな哀しみを背負っていると思っている奴。何故か知らないけどいるのよ。世の中の変化をどうも肯定的に捉えられないで、否定的にばっかり捉える奴。極論、死にたがる奴。僕がただ何かを書いてるのは、そういう人のためにってわけじゃなくて、そういう人の中の一人として何がしか書いていかなきゃなってわけで、誰のためでもないんだけど。どうなんだろう、いったい何が哀しいんかね。ほんのちょっと他人を知れば、そんな哀しみ小さい以下のゴミくらいでしかないはずなんだけど、なんかそういう下らないものを忘れない奴。それと、すぐに忘れちゃう奴。だからみんなオナニーしたり、酒飲んだりするんだね、って無駄に自分を納得させながら、いつもと同じようにうさぎにエサやってた。