くうちゅうくらげ

-A Boys Named No.28-

だから消すなって云ったろ。

そういえば、去年の夏くらいにこのクソブログに無駄にクソ読者が増えまして、せっかく見てくれているクソ共のクソブログでも見てやろうかと思ってクソみたいにブックマークしたのです。で、昨日数ヶ月ぶりにブログ徘徊なんぞをしたら半分くらい消えてました。

 

このあたりの個人的な感情はちょうど1年前くらいにも「数々のブログの閉鎖。 - くうちゅうくらげ」に書きました。もしかしたらもっと昔にも書いたかも…とか思ってたらやっぱりちょうど2年前くらいにも「ぼやき。 - くうちゅうくらげ」ありました。まあ云いたいことは自体はぜんぜん変わってないので、色々とはしょります。そしてこんな感じの文章を来年の僕も書いているに違いありません。

 

そんな感じで僕は過去に何度も云っているように、消すのはやめたほうがいいと思います。なぜならば、答えは単純でなかなか寂しいからです。

 

もう僕のように10代のころから“お恥ずかしい”ものをずっと垂れ流し続けていると、たくさんの消えていったブログを見ます。でもこんな僕みたいな誰に見せても恥ずかしいようなクソブログでも何年も存続しているのだし、そもそも自分のことを必要だとか思わないほうがいいです。チェ・ゲバラが云っていたように世の中に必要不可欠な人間などひとりもいないのですから。

 

というわけで、長年見てくれている人はわかるかもしれませんが、このブログはテンションも内容もなんだか一定ではありませんが、「同じ人が書いている」という時点で一緒なのでこれでいいと思ってます。そもそも常に一定な人なんていないわけで、その一定じゃないからこそ書くってことでいいんじゃないでしょうか。僕はその一定じゃないところに美しさが生まれるって10代の頃から云ってるんです。そんでその10代の頃から云ってることこそが僕の最後のしがみつく場所であり、捨ててはならないものだと思っているんです。

 

仮に、仮にですよ、僕に凄く美人な婚約者が出来たとして、これはまあ仮になんですが、それでその凄く美人な婚約者にこのブログが見つかったとして「あなたの恥ずかしいブログを消さないと婚約破棄よ!」なんて云われたとしてもですよ、僕は消しませんよ絶対。それでも僕は胸を張って「このお恥ずかしい人生こそが僕の人生さ!」と全裸で云ってやりますよ。全裸である必要はどこにもないけど。中東のゲリラに手足縛られて銃突きつけられてビデオ撮られながら、イボ語で「Wepụta na blog(ブログ消せ)」って云われたらちょっと考えるけど。それでも僕はたぶんこのクソみたいなブログを書き続けて、死ぬ直前になってもクソみたいな人生だったなって思いながら笑って死んでやるさって思ってる。