くうちゅうくらげ

-A Boys Named No.28-

震災から2年経ったんです。

 今日といえば3月11日なわけで、3月11日といえば震災の日なわけで、震災と云えば絆なわけで、絆と云えば愛なわけで、もしそうなら愛って一体なんなんだろうなぁと思う。

 

 そして僕はといえば、朝から走っていた。ブライアンセッツァーを聴きながら、ここのところ日課で始めたマラソンというにはちょっと飛躍しすぎなジョギングを約8キロ。家から公園まで往復2キロ。公園の1週2キロのマラソンコースを3周。曲とはあまり似合わない眠気と気怠さを以って。

 低ペースでもはじめは辛かった。一番辛いのは肺より足。足は日々やっていかないとついていかないな。自分より一回りも二回りも年上であろう女性に2回追い抜かれたりするヘタレっぷりだ。はじめは追い抜かれると悔しいという感覚はないのに、本能なのかペースが乱れてしまってバテてばかりいた。今は周りが見えなくなったよ。やっぱり体力的に追い込まれると自分の足元にしか集中できなくなってくるし、吐くか吐かないかの瀬戸際なんてもう最高の気分。考えられる余裕が徐々に減っていって、なんだろう。毎日ちゃんと死んでいるという感覚になれるからね。

 

 で、走りながら3月11日のことを少し考えていた。考えたいから考えたのだけど、本当に考えたかったかといえば疑問なほど曖昧な感情で。なぜならば、起きてから15分ほど見たテレビの中でそんなこと云っていたから。沈痛な面持ちで、何処にでもあるような言葉を、ああご冥福お祈り致します。幸あれ、がんばれ日本。そんな感じのことを。そういえば昨日の夜のニュースでもやっていた。野球を見てからすぐに寝てしまったはずだからあまり覚えていないけど。だって思えば、毎日やっているんだもの。ハンバーグが好きだと云ってから、毎日ハンバーグが出てくるような不快感。僕はハンバーグの後にハンバーグは食べたくないタイプだ。ましてハンバーグをおかずにハンバーグを食べることなんてしないさ。

 

 テレビでは福島の話とか、復興の話とかをしていた。福島ではなんだっけ、原発マイクロシーベルトとか、よくわからないもの。マイクロシーベルトがやばいぞ!逃げろ逃げろ!さて、そんなこと云われても、僕にとってはお化けがいるんですけどって云われてるのとそんなに変わらない気がしてならない。そのくらい実感がない。テレビとか見れてばわかったのかな。

 

 それと、音楽番組がたくさんやっている。チャリティーだそうだ。

 テレビを通して、そこには子供たちの笑顔がある。アイドルが少しでも苦い記憶を消してくれるのだろう。アイドルがお金を集めてくれる。“そこ”出身のアーティストの方々。ロード・オブ・ウォー。売れないアーティストもどきがきっかけを掴んだんだろう。ネタにしたことでどれだけのお金が稼げたのかな。「俺、歌います!流された友達のために!」嗚呼、青春。おめでとう青春。流された友達が夢を叶えてくれた。オオ、ハレルヤ。悪霊退散するためにみなさんで唄を歌いましょう!まるで叙霊するための儀式。占いとか本気で信じる人もいるからね。どうしてこんなに悪口みたいになっているのだろう。

 

 僕がメディアを通してこの話題に触れる度に何を考えているのかっていうと、だって僕は何も出来ませんからね。お金も払えないですし。現地に行きたいと思ったこともないですから。仮にお金がめちゃくちゃあったところで、たくさんあげますかって云われてもねぇ。“実際問題”が大事で。僕にとってその日は当時自宅に泊まっていた友達と「今揺れた?けっこう揺れたなー」とか云ってたくらいで。次の日には電車が運休して仕事に行けないから、むしろ迷惑千万だった記憶しかない。じゃあ僕はたぶん、すんませんと思うべきなんだろうけど、誰に、何に対してすんませんなのか。うんそれならどう考えても触れないことが一番正しい。

 なんだろう、そうとはわかっていても、とてもイライラとするのです。それは何も出来ない自分に対してではなく、「何か出来る」むしろ「何か出来ている」そう錯覚している方々に対して。実際に何か出来ている人もいるのでしょうけど。それ余計なお世話なんじゃないでしょうか、と思ってしまうから。こればかりはよくわからないけれど、こんなにかわいそうかわいそうと云われてかわいそうになることが、そこに居る人の本意なのかと考えると、僕はくそくらえだと思うからです。

 

 「あーあ、わざわざ云わなきゃいいのに」僕はこの感情に対してそう思う。当時、元気のいい東京の爺さんが「こりゃ天罰が~」とか云ってた時に、僕は思った。「あーあ、わざわざ云わなきゃいいのに」

 

 泣く人は確かにいる。それで良いと思う。僕とて、笑ってなどいない。近づきすぎて遠のくことはよくあること。哀しみはあらぬ方向へ向かう。ゆめゆめ忘れぬよう。