くうちゅうくらげ

-A Boys Named No.28-

「七夕ですね」という、今週のお題に答えてみた。

今週のお題「七夕ですね」

 

どうでもいいですが、ついさっきまでパソコンでオンライン麻雀をやってました。

ふつうに知人なんかとやるといつもプラマイゼロくらいの成績で上手いのか下手なのかわかりませんが、オンライン麻雀だとやたらとツキがいいです。

 

89%の勝率です。

今日なんて、人生ではじめて数え役満を出しました。

喜びすぎて発狂して椅子から転げ落ちるほどでした。

 

僕なんて、金がない(ショウサンゲン)頭が悪い(ホンイツ)彼女がいない(ハク)鬱々としている(チュン)モテない(ホンロウトウ)酒癖が悪い(トイトイ)カラオケで洋楽しか歌わない(サンアンコー)友達がいない(ドラ3)という数え役満クラスの人生なんですから、せめてオンライン麻雀くらい勝たせてくれないと割に合いません。

 

というかこれ、オンラインとか云っときながらNPCだったらなんだか泣けてきますね。

金にならないところが惜しいところです。

しかしそれにしても、ふつうに仕事をしてた時は寝る間も惜しんでバカがバカらしくバカみたいに麻雀ばかりしてたんですが、ここんところ誘いがなくて寂しいばかりです。

たまには人と顔をつき合わせて勝負したいなぁ。

それより最近人と話してないどころか、人と会ってないなぁ。

 

ま、そんなこんなで本題に。

はてな今週のお題にはほとほと呆れかえります。

 

前回の夏の予定なんかもそうでしたが、夏の予定なんてうんこしてメシ食って寝るというのがふつうですが、信じられないことにほとんどの方がなんかよくわかんない夏の予定とか書いてます。

 

どっか出かけるとか、どっか行くとか、どっか旅行するとか、彼女と花火大会とか、彼女とプールとか、そんなクソくだらないことばかりです。

どっか出かけて風俗とか、どっか行ってキャバクラとか、どっか旅行して不倫とか、彼女と花火大会行ってセックスとか、彼女とプール行って喧嘩して別れてその彼女を僕に譲ってくれるとかそういうところまで書くのであれば、さすがに紳士の僕も見直すところなんですが、まあ本当のことばかり書く人ばかりじゃないので、仕方ないでしょう。

 

というか、前に書いた自己紹介とかも、あんなに真面目に書いたにも関わらず、僕に未だに3DSが当たってないっていうのも良くわかりません。

 

今回も七夕とかいう、こんなふざけたお題なわけですが、イギリス人も驚くほど紳士であるところの僕はしっかりと答えてみたいと思います。

というか、ここはあえて「今週のお大」として今週の大便をただひたすら掲載してもいいんですけど、そうするとイギリス人も驚きの紳士どころかネアンデルタール人も驚きの原始人になっちゃうかもしれないのでやめておきます。

あだ名をドテチンにするのだけは、勘弁してください。

 

というかここまで話を長引かせたのにも理由があって、そもそも「七夕ですね」なんて云われても「だからなんだよ」としか云いようがないからです。

どんなに考えたって「七夕は彦星と織り姫が1年に1回セックスする日です、よかったですねおめでとううらやましい」という答えしか思い浮かびません。

 

というかこれは暗に、願いごとを書けと云っているということでしょうか。

解釈は人それぞれですけど、まあそれならそれでお願いをすることにしましょう。

 

昔から家で七夕にお願いするという習慣もなかったのでいざお願いをするとなると無駄に悩みますね。

もし叶うというのならば、願いごとなんて100個あっても足りないくらいです。

しかもここで「彼女がほしいです」なんて云ったら云ったでつまんなすぎるというか切実すぎるというか、まあとにかく興ざめですよね。

 

そういえば、これはただの思い出話ですけど、学校で短冊に願いごとを書くっていう行事があってですね。

まあそれなりにこの経験した方も多いんじゃないかと思いますけど。

僕が小学4年生か5年生だった頃にですね、2つ下の妹のクラスに飾ってあった短冊に「兄が、早く家を出ていきますように」と書いてあったのは衝撃でしたね。

小学低学年の女の子が1年に一度しかない、願いごとができる機会に、ですよ、パン屋さんになれますように、とかじゃないんですよ。

まあそのころから僕はイケメンすぎるというか、格好良すぎて女の子からの人気があまりなかったのですが、肉親にすらもそう思われる人生っていったいなんなんだろうと思いますよね。

完璧な男は嫌いという女性もたくさんいますから、それはそれで仕方のないことなんですけどね。

 

話は戻って、願いごとかぁ。

思いつくだけでも「お金欲しい」とか「ちんこがもうちょっとデカければなぁ」とか「風俗の値段がもっと安くなればいいのに」とか「一度でいいから後藤真希と付き合いたい」とかいろいろあるんだけどなぁ。

 

翻って、なにが願いごとだよクソが、とつまらない気持ちになるのも否定できません。

なぜならば、願いごとをしたところで叶うはずなんてないからです。

「一度でいいから後藤真希と付き合いたい」と書けば後藤真希と一度でも付き合えるのかといえば、そうではないからです。

後藤真希と付き合いたいなら、それに向けた努力をしなくちゃなりません。

というか、ただでさえ神様とか仏様とか彦星とか更々信じてもない人間がですよ、天に願うってことすらおこがましいわけですよ。

なーにが願いごとだよ。

願うだけでお金が降ってくりゃ世話ないですよ。

彦星とか1年に1日しか存在を認識してくれない始末ですよ。

哀れですよね。

僕なんて10年に1日くらい存在を認識してくれればいいほうですよ。

哀れですよね。

でもそれを差し置いて、人は願いごととかする。

もうよくわかんない。

一番よくわかんないのは、祈りの内容が~さんの~がなんとかなりますように、ってやつ。

たとえばうちの母ちゃんの「せめて息子がもう少しマシになりますように」の類の。

よくわかんない。

母ちゃんが願ってれば、僕がマシになるとか大きなお世話ですよ。

ああ、後藤真希と付き合いたい。

世の中の全ての人が僕のために「28さんが後藤真希さんと付き合えますように」って願いごとしてくれたら、たぶん意思エネルギーとかで後藤真希と付き合える。

だからよろしくお願いしました。

でも世の中そんなに甘くないので、僕は多分後藤真希さんとは付き合えないのでしょうね。

それでも人間は生きていかなくちゃいけません。

 

だから感動的ぶっちゃって「おとーさんのびょーきが治りますように」とか書いちゃうガキも、治すのは医者だし、医者が治せなかったら死にます。

そして親父が死んでもその子は生きなきゃならない。

別にそれがガキだろうと、大人だろうと変わりません。

3歳の願いごとも60歳の願いごとも、まったく頼りにならないという点で、質は一緒です。

「交通事故に遭いませんように」だって質は同じですよ。

車突っ込んできたら死ぬ、それだけです。

そもそも願いが叶うとでも思ってんのか。

僕なんて「プラレールが欲しい」という願いすら叶わなかったのに、おとーさんの病気なんて治ると思ってるのか。

バカらしい。

まあ病気を治すのは医者だけどね。

プラレール買ってくるのはおとーさんだけどねぇー。

たまたまデパートに寄ってしまって、たまたま買ってきてしまったくらいの奇跡でも起きてればねぇー。

 

「そんなことないよ願いは叶うよ」とか今までの人生でクソほど聴きましたよ。

クソほど云ってくれましたし。

「じゃあお前は俺の願いを叶えてくれるんだな?」って話ですよ。

まあ、人生は等価交換でしかないんで、他人に期待することなんて、1歳の時点からやめです。

だからもういいんですよ、願いごととか。

すればするだけ無駄じゃないですか。

なんだよ金が降ってくるとか、かわいい女の子とたまたま付き合えちゃうとか。

クソくらえですよ。

どうせ裏切られるんですから。

僕の願いごとなんて明日もうんこできますようにとかでいいですよもう。

 

どうして僕が願い事に対してこんなに卑屈かというと、小さな頃から願いが叶った例なんて一度もないからです。

一度も叶った例がないものを信用すること、それ自体がバカらしいです。

世の中でただ信じられる物事は、金を払えば風俗でヤラせてくれるってことくらいです。

だから僕は他の人が願ってる間に1回も多くオナニーしときます。

 

何か無駄に妬み節満載のテキストになってしまいました。

というか七夕っていつだ。

もしかしてもう終わってるとかいうオチじゃなかろうな…。