くうちゅうくらげ

-A Boys Named No.28-

風となり、海となる。

昨日は久しぶりに小さなジャズバーでピアノの演奏をしてきました。
十数人のオーディエンス(もちろん自分を見にくるわけではない)くらいがちょうどいいです。

お金を取ってやる「それ」と、無償でやる「それ」の違いが少しわかったような気がします。
聴かせる音と、聴こえる音っていうのは根本的な性質が違いますから。
音は言葉に似てるんです。
聴かせる言葉と、聴こえる言葉っていうのも根本的な性質が違いますから。

歌はそのまま言葉です。
言霊という連中もいますが、そんなものも所詮は言葉であり、押し付けでもあるのです。
それは大抵は美しくはありません。
しかし、醜さの中に美しさが見えるということも、まだ見失っていません。

こうして何にもとらわれずに演奏できるならば、これを死ぬまで続けられるんじゃないかな、と思いました。
思っただけです。
リクエストを貰った友人も見に来てくれて、確かに数時間だけでも都会の雑踏も自分の雑念も忘れられたような気がします。
気がしただけです。

それでも今の自分にとって、愛がある場所はそこだけだったかもしれません。
誰にってわけでもなく、どうもありがとう。

また精神論になってしまいました。

最近は実に不機嫌でご機嫌で、精神論ばかり投下してしまってます。
別にそれがどうこうってわけではないですが、書き方が違うだけで結果的に書きたいことの本質は同じなので、兎にも角にも醜態を曝しているだけに過ぎませんね。
とは云っても、その醜態こそが自分のハートなわけで、そうなってしまう仕方なさも、醜さも、美しさも、今は“受け容れて”やっていくしかないです。
自分を赦せなければ、誰であれ赦せないのですから。

言葉は、確かに悪ではありますが、時には正でもあるのでしょう。
言葉が生きてくるのはもちろん大概が悪事によってですが、それだけでもないようです。

「もう未来を恐れなくてもいい」
それは確かに俺にとって、正の言葉でした。

信じるだけで、俺の言葉はそのまま力になり、俺のイメージはそのまま世界になり得ます。
だからこそ、それらを粗雑に扱う連中は報いを受けるべきだと思います。

それではお酒を飲んで、さようなら。