くうちゅうくらげ

-A Boys Named No.28-

いざ、2012(2)

さて、昨日書いた内容の延長のものになるわけですが、
ここのブログの来年の目標たるものを書いておきたいと思います。

1、カテゴリについて

正直に云って、気に入ってないです。
基本的に自分の投下した記事を読み返すってことがほとんど無い人間ですし、このブログを好き好んで読んでくれている人の実態を全くつかめていないので、実際には意味のないものです。
でも何故だか気にしちゃうんですよね。
それぞれに意味があるものだったりもするので。
部屋とかも、使うものは数少ないとは云っても、これはこっち、あれはあっちみたいなのを結構スッキリさせたいタイプなんです。
そしてそれぞれに意味を持たせたい。
意味を持たなくなったものは既に無いか棄ててあります。

なのでこの「カテゴリ」に関しては、今一度整理したいと思っています。
ただ自分の文章に関しては、何が何にあてはまっていくのかわからないのが難点です。
一時期を除いて、すべて気分で書いているので、同じカテゴリと云えばそうですし。

今も意味は一応あるんです。
ほとんどの人にとってはどうでもいいと思うのですが、一応書いておきます。

「Brat jellyfish」(くらげ小僧)
基本的にはただの日記
ただ俺は「ただの日記」が嫌いなので、ほとんどの場合、他のカテゴリとセットになる。

「My epitaph」(僕の墓碑銘)
週間&習慣として
一応、多忙などで毎日更新できなくなったとしても、日々を書き留められるように。
最近は毎日更新しているので、存在する必要があるのか。

「Sidewinder」(愚か者として)
(自分にとって)最も大事なもの
あくまで自分なりに、忘れてはいけない大事な事を書きました、と思ったときに選択しているカテゴリ。

「The gloom」(暗闇)
(前提として)人様に宛てたもの
感謝や憤りなど総てを含めて「誰かに」書いていればこのカテゴリ。
実在する人間などに向けたもの。

「Solitude」(孤独)
(前提として)自分のみに宛てたもの
基本的に誰かに向けたものではなく、矛先が自分に向いているもの。

「Sway the way」(揺れる路)
くらげのもの
一人称をくらげとして、少々物語めいたものとして、自分について語っているもの。

「Overcast glim」(曇った灯火)
「君」に与える絶唱めいたもの
存在するかしないかすら定かではない、「君」に寄せて。

「Agrypnia nocturne」(眠らないノクターン
音楽的なもの
一応ピアノなど、音楽めいた活動をしたときはこちらに。

「Suicide pact」(心中の約束)
「Foul passion」(煩悩)
物語めいたもの
過去などを少々物語りめいた視線で、長く書いたもの。
本当に気分がノってきたときしか書かない。

「Island in the sun」(お日様の島)
旅行の手記
旅行に行った時にたまたま作ったカテゴリ。
これから更新できればと思っている。

「Is this Funny?」(これ愉快です?)
ウケを狙ったもの
一時期、面白い記事が一つ完成したので記事を書いてみたところ反響が良かったので調子に乗ったシリーズ。
後に向いていないことが判明し、窮屈になって更新しなくなった。

「No.28」(ナンバー・28)
過去の意味ないもの(所謂ゴミバコ的な)
定期的にブチ込んでいるつもり。
まあ要はいつ消してもいいエントリをまとめたもの。
ただ「消す」という行為はあまり好きじゃない。
いくら駄文でも恥ずかしくても、確実に「そのときの自分」の書いたものだから。

「THE STAR VIEW」(スター・ビュー)

あまりにも恥ずかしい雑多なワードが点在しているので、別ブログへ。
実はこのためだけに有料版にしている。
但し、書いているときは気分がいい。

などなど。
長くなってしまいました。

今これだけカテゴリがありますけど、じゃあ今書いているこの記事は何処に当てはまるのか…と考えるとまたカテゴリが更に増えますよね。
だってこの記事は自分にも向けているし、他人にも向けているし、忘れてはいけない内容だし…のような。

増やしすぎるとイヤになるんです。
でも、整理していないものイヤだ。
あー、どうしようかーと。

但し総じて、「気分的なもの」に分類されると思います。
そう、このブログは「気分的な」それなのです。

それこそまさに日記、生きている過程を綴っているのではないでしょうか。

上手くまとめたつもりですが、具体的なことは何一つ決めていません。
増えるかもしれないですし、減るかもしれないですし、変わるかもしれないです。

2、記事の内容について

どうでもいいですけど、意味を持たせたいんです。
カテゴリにしても、内容にしても、何にしても。
せっかく「文章を書く」という悪事によって、血を流しながら何かを紡いでいるわけですから。
ワードの一つ一つにも、無駄死にはさせたくないんです。

だから自分に宛てて書くときも、他人に宛てて書くときも、結構真剣です。
あまりこういう云い方は好きではないのですが、今の自分の「生きがい」の一つになっているのでしょう。

3、記事のタイトルについて

アクセスアップを狙っているわけではありませんので、総て適当でいいとはと思っているのですが、一応タイトルは一番気を遣っています。
これこそ「無駄に」なんですけど。
タイトルがしっくり来ないとダメな気がするんです。
本文とタイトルの関係性はあるときもないときもあるのですが、「すべて考えているんです」と発言しておくことは良いことだと思いました。
説明しないところに解釈など無いのですから。

4、アクセス数など、業務的なことについて

全然考えていません。
自分の書いている記事はあくまで自分のことでしかないので、拡散させるつもりは全くないです。

自由があります。
書くほうにも見るほうにも。
芸能人じゃないし、仕事でもないんですから。

だから俺も好きな人の記事は見に行って感想など書くし。
嫌いな人の記事はわざわざ見たりしませんし。
同じようにしてくれていいんです。

もし「不特定多数」を視野に入れて書き始めた場合は、別の場所でやると思います。
たとえば本や映画に関する感想や宣伝や時事ネタなどに言及した内容、などをメインにした場合。
無いとは思いますが。

でもやっぱり見てくれる人が増えてはきました。
純粋に嬉しいことです。

「見たい人だけ見ればいい」
それが前提だったとしても、ここを見てくれる人がいる、何かを感じ取ってくれる人がいるというのは、もちろんうれしいことです。
なので、コメントやスターなどは、今までどおり気軽に残してくれれば、見に行く機会も与えてくれるということでしょう。

5、記事数について

毎日更新、とかするつもり全然ないです。

できれば今年は、量より質、を目指したいと思ってはいるのですが。
去年の後半はあまりにも雑多なテキストが多すぎて、結論云いたいこと一緒、みたいなのが多かったんで。

とは云ってもね、その日にしか感じられないことを自分の中に押し込めるっていうのは、勿体無い気がするんです。
だからまた「気分的に」書きます。
書き続けるときもあれば、止まり続けることもあるでしょう。

自由じゃないですか。

6、スタンス

まあブログに人生を賭けているわけではないんで、もちろん大事なのは私生活です。
その私生活の一部に「記事を書く」が入っているわけでもありますが。

スタンスは年末に少し書いた「命題」についての咀嚼があります。
日々を摘み取る中に、その「命題」に少しの光明がありますように。

ただだらだらと日常を綴るのには向いていないタイプですが、たまにはそんなことを書く時もあるでしょう。
詩的なものは減らしたいと思いますが、たまにはそんなことを書く時もあるでしょう。
具体的に人生について書く日もあるでしょう。
存在しないものについて描く日もあるでしょう。

言葉がミサイルである以上、それを出す砲台自体は変わりませんし、変えるつもりもないです。
ただ打つ方向だったり、ミサイルの種類だったりは変えられると思うんです。
外すことすら楽しめる状態でありたいと思います。
ただミサイルは容易に総てを粉砕することが出来るということを、忘れてはいけないと思います。
「言葉」をナメるな、そういうことです。

結局、ここでは去年の延長みたいな事をやっていくんでしょうね。

というわけで、気分的に。
自由に在りたいと思うわけです。

このように誰の得にもならなそうなテキストは1年後かその先の自分に向けてとても云っておきましょう。

そんなこんなで今年もこのブログ及びこどもくらげを宜しくお願いします。