くうちゅうくらげ

-A Boys Named No.28-

日々、川のせせらぎに。

4日から、仕事が始まりました。
仕事が始まると、本当に日々はただの繰り返しなんだな、と実感する次第です。
この繰り返しの中で、如何に毎日を変化させていくかというとやはりそれは自分のユーモアと考え方次第なわけでして、それを仕事のせいや社会のせいや他人のせいにはしたくないです。

自分の荷物は自分で持ちます。
当たり前のことです。

さて。正月はなんだかんだとバタバタしていたんです。
31日〜3日までは慣れない早起きを繰り返し、昼には外に出かけ、夜には就寝するという全く健康的で悪気のない生活をしていたわけであります。
実は31日〜2日のエントリは年末に書いた下書きから投稿したものです。
そして、僕はそういうやり方が好きではありません。
しかしそんなことは忘れてしまうほど、忙しかったんです。

1年で一番充実しているであろう数日間。
たくさん金を使いました。
久しぶりに「有益な」金の使い方をしたと思ってます。
衝動買いしすぎたな、という反省もしばしば。
そういうもの全部含めて、それなりです。

話は変わりまして昨日、4年間使っていたPCが遂にぶっ壊れました。
元々5万円くらいの決して良いとは云えないモノに、メモリを継ぎ足したりメンテをしたりしてなんとかやってきましたが、さすがに換え時かなーと思っていた矢先の出来事。
DVDドライブにCDを入れたら、中に吸い込まれてしまって、分解して取り出して元に戻したら電源が入らないという始末。
このまま電源がつかなかったら、中に入っているデータも全くバックアップできないしどうしようかな…。
でも修理するのも面倒だ…。

というわけで、この投稿はノートPCでやってます。
そういえばノートパソコンも既に3年くらい使っているし、音もヤバイから心配です。家電は同時にぶっ壊れるとは良く云ったものです。
PCは出来るだけ早めに換えます。
何の為に、と考え始める前に換えます。

“万物は流転する”
今の僕は、そんな言葉の意味を考えています。
いえ、意味を考えているというよりもは、それが何なのかと考えています。

日々は流れます。
全く同じように。
もうそろそろ寒い冬を越えて、春になるでしょう。
もう少しで僕の誕生日です。

自分で考えたこと、感じたもの、見たものしか信じないというのは、ポリシーや信念などではありません。
「ただそのように出来てしまった」に過ぎないものに対して、善悪も思い入れもありません。

墓碑銘に刻んだ言葉を見つめながら、過去の僕の言葉は空を遊泳しています。
しかし、手が届きません。
そこに、接続できません。
それは何故か。
今はもう、過去の僕ではなく、現在の僕なのだから。

哀しみの樹に泪で水分を与えて育てようとしたけど、未だに果実は実りません。
それでも、いつか必ず。

実は、断酒に成功しています。