くうちゅうくらげ

-A Boys Named No.28-

己(おのれ)

僕は僕のことを書きます。
そうではなければ、ここが僕の城である必要はないのです。
誰かに乗っ取られた思考で、誰かに乗っ取られた文章を書くならば、他の人がやってもいいことです。
それが僕である必要はない。

何かの記事に対して言及することや、アイドルについて、政治について、下ネタについて、ゲームについて、“批評する”というその行為を僕はしません。
感じていない事を書くことはしません。

強いて云うのであれば、これは僕が毎日“ゼロ”になるための行動でもあります。
僕はゼロなものでいたいと、常に考えています。

純粋なもの、潔白なもの、罪のないもの、素敵なもの、総じて、美しいもの。

素晴らしい人間であるということは、そういうことでもあると思います。
それを他人には要求しません。
しかし、美しくないものを尊敬したいという気持ちは残念ながら起きません。
僕は僕なりに自分を納得させながら今日も生きます。
行動さえ起こさなければ、何も起きない日々だからこそ。

日常が変わらないということは一種の観点から見れば非常に幸せなことだと考え始めます。

僕がこうして毎日何かを紡げる幸せ。
何かを考えられる幸せ。
何かを食べる幸せ。
そして生きる幸せ。

それを決めるのはいつも自分自身です。
他人に其処を委ねるならば、その人は美しくありません。
悩んで、泣いて、笑って、活動する。
それに色が宿り、それを愛せる人。
孤独を愛して、自分と向かい合う人。

そして基本的に自分の足で立ち続ける人。
依存しない人。

僕が目指しているところはそんなところです。

いつも傍にいる人が傍にいるという幸せもあるでしょう。
つまり僕には逆に常に傍に誰もいないという変わらない幸せも点在しているわけです。
180度でも360度でもいいから視点を変えながらでも、探すんです。
それが生きるってことです。

今日は偉そうにそんなことを云ってみます。

過去の僕はもう現在の僕ではないように、未来の僕も現在の僕ではありません。
日々変わらない中にも、ゼロになればこそ。
なればこそです。
美しく在れます。
孤独であろうと、なかろうと。
生きていようと、死んでいようと。

残してきた数々の傷跡は、確かに僕を強くしました。
願わくば、君も、あなたも、強くあれますように。

そう願う、僕の1日。