くうちゅうくらげ

-A Boys Named No.28-

なみだ。

僕は…うん。
僕は泣いたことがある。
うん、確かに。

気がつけば僕はそんなことを話していた。
それは、堂々たる太陽が照りつける、ある日の夏の話であった。

冬の空に夏の太陽を思い描いて、懐かしい夢で起床した今日は何かあるという確信に基づいて始まりました。
好きな音と、好きな声と、好きな笑顔を見たいと想い、そしてそれが実現しないことを心底悔やんで始まった日でもあります。

起きる、仕事をする、帰る。
ただそれだけの日々に、そこに何の特別があるのか。
そういうことを考えるのは、別に今に始まったことじゃありません。

総ては僕次第。
だって僕は、小さな神なのだから。

話を戻しましょう。

僕が絶対に終わらないと思っていたもの。
周りの友人の笑顔や、好きな人の泣き顔。
家族の笑い声や、誰かを想う純粋な少年の気持ち。
景色、色彩、光悦、憤怒、夢の残骸。
それらの総てが終焉を迎えたと想っていた、ある日の夏の話。

寂しいという感情で、はじめて泪を流したのは10歳のころである。
何が悲しかったろう。
何が哀しかったろう。

あのころの僕は戻っては来ない。
今はその事実に泪を流すことはあれど。

しかし、僕はこの年明けに、故郷の相変わらず疲れた公園で、過去の僕と決別することを決めた。
それは、大きな決意だった。
昔の僕を回収することをやめた。
あきらめた。
目の前は何も変わらないというのに。
掴めるものは相変わらず何もないというのに。

強いて云うのであれば、過去の僕が望んだことだろう。
そう今では想っている。

収束がつかない今日のこの文章。
いつしか、僕の心の彩の片隅となりますように。
そう願いながら。
文章の中に埋没し、そして消え行く魂と共に、寝ましょう。
そして目覚めたい。
僕はいつでも、目覚めていたい。
おやすみなさい。

哀しみに明け暮れる毎日の1ページ。
道は平坦なれど、起伏が激しいこころの。
そんな僕の大事な1日。