くうちゅうくらげ

-A Boys Named No.28-

リズムも持ち寄って。

今日という日は、皆さんにとってはどんな日になるのでしょう。
僕は一度、いや、二度、いや、何度も考えたことがあります。
「この日々の紡ぎに意味があるのか」と。
「意味などありません」という回答だった時もあれば、そうではなかったときもあります。

このまま、生きます。
流されず、流されるままに。
少なくとも、僕にとっては他人の1日の内容なぞ、直接的には何の意味も持ちません。
ですが、「幸せでした」「哀しかった」「死にたい」もう何でもいいです。
とにかく其処にその姿で存在し、その姿で生きているということ。
そのことの方が最も重要であるわけです。
そうした“何気ない”人々で作られている1日です。
それぞれにそれぞれのストーリーがあって当然でしょう。
僕が信じなくてはいけないことは“自分のストーリーこそが最上だ”ということ。
それが、どんな形であれ。
どんな色であれ。
腐っていようと、光っていようと。

“彼ら”は、「鬱病です」とか、「コミュニケーション障害です」とか、「四六時中体調が悪いです」とか、「楽しい事なんてないです」とか云っておきながら、随分楽しそうじゃないか、とずっと思っていました。
“彼ら”はそういった事実を省みることはないのでしょうか。
そのとき、自分で自分のことが哀しくならないのでしょうか。
“被害者”を気取っている自分に、“道化”に成り下がっている自分に…。
そしてそのうちそれは、嘘、偽りに姿を変えるのではないかな、と…。

そう、僕にはそういう恐怖心が常にあるのです。
いえ、ただ自らのプライドに反したくないからかもしれません。
だけど、僕が今日生きているのもプライドのお陰だとも思います。

「思ったことは素直に云う」ということは善なのだと聞きます。
しかし「嬉しい、楽しい、哀しい、苦しい」の“本当の”心境は言葉には出来ないものだとも思います。
出来るとしたら、それは過去に持っていたもの。
哀しみの渦中にいる人間は言葉に出来るほどの資格もありません。

簡単じゃないですか、本当は理由なんてないんですよ。
だからそれを探す為に悶々としているんだと思います。
だとしたならば、明確な目標がある僕はそこにいることが出来ないわけです。
当たり前の話ですね。気づきました。

僕は常に「あんた何したいんだ」と葛藤していたんだと。
「何でも話してね」に僕は常に背を向けて生きてきたんだと。
なぜならば、それらを黙って受け入れられるほどの優しさも、諦めて見棄てるほどの勇気も持っていなかったからです。

さて、場所は不快な喫茶店にて、この文章を綴ります。
僕はこうして何かを綴ることによって、自分の中の何かを正直にしようとしています。
それは云わば、贖罪であり、懺悔であり、浄化でもあります。
僕の手帳には様々な言葉が刻まれています。
その言葉たちは誰に宛てるものでもありません。

ただ日々を潔く生きるための材料でしかないのですが、時にこれは様々な状態の僕を。
様々な季節の僕を、支え続けてきたものです。
人生にとって何が重要か、ということを考える青臭い時代は終ったはずでした。
しかし未だに、僕は見捨てられた幼子のように探し続けています。
それこそ、見つけての何の効用もないようなクマのバッヂのようなものを。
価値があるかどうかもわからずに。
何度も道に迷いながら。

「こどもうた」にしてもなんにしても、“文章”を書こうと思えば、いくらでも書くことはできます。
だって世の中は書くべき事に溢れているじゃないですか。
たとえば今日の空の色について、物凄く長文で書くことだってできます。
どうやら僕はそのことに関して“かなり得意なよう”です。
善悪も好悪もそこには在りませんが、実際に“かなり得意な”ようなのです。
書きたいことだって、書きたくないことだって、自分の中に収めることは出来ず、どんな時だって文章にだってしてしまいます。

理由があるとしたら、寝ているときよりも何かを書いているときの方が心が休まるからです。
そうやって考ると、自分は“彼ら”よりもは明らかに前向きであるような気もします。
おかしな話です。

しかし、とは云ってもね。
お気に入りのジャケットを着て、髪の毛を丁寧に手入れして、大好きな音楽を聴きながら外へ出ても、目の前は真っ暗で今にも狂いそうなときもあるんです。
そう、その日の僕はいつも“友人”が云っている「回収された自分」を間近で見ました。
まさかそんな形で僕も回収されていたなんて。そんな形でしかなかったなんて。

それでも、僕は視線を上げます。
街を行き交う人々のほとんどは何か目的があってそこにいるようで。
そして、何も成し遂げられないのは自分だけなのではないという、無為な絶望感に襲われて、こんなときは誰も僕の力になり得ないことに改めて気付きます。
何故、ただ。
何故、ただ街を歩くだけでも、僕はレジスタンスを抱えなければならないのか。

僕は、人として成長したいのではない。
そもそも人間的成長ってなんだ。完璧を求めているわけではない。
そもそも完璧って敗北じゃないか。
そうじゃない。
進化したいんだ、僕は。
目覚めていたいんだ、僕は。
そしてゼロでいたい。
何にも依存しない人で在りたい。

弾こう。きっと、今日は良いものができるでしょう。
都会の雑踏を置き去りにして。
そうして、日々の愚鈍に溶け込みます。
時には安堵するでしょう。
時には闘争するでしょう。
そして時には…。

不健康であることはわかっていながらも、それを掴むように、僕はまた手を伸ばす。
この生き方に。
僕はまた手を伸ばす。
いつか、誰にも干渉されずに愛し愛されるその場所を手に入れるために。
僕はまた手を伸ばす。
懲りずに。
飽き足りずに。
しかし、何も掴めない。

「何か必要なものがあるなら教えてほしい」と、誰かが云ったことを思い出しました。
どこにあるのでしょう。
この憤りの先に、この孤独の先に。
この咆哮の先に、このレジスタンスの先に。
教えてください。
僕はどこへ向かっているのでしょう。
愛に触れるそのときを、何度も思い浮かべながら。
寒い路地に足音を刻みます。

僕は“移動している”という感覚が、昔から好きです。
電車でも、車でも、飛行機でも、船でも。
なんでもいい。
とにかく“移動している”という感覚だけで、相当なストレスの軽減になっていると思っています。
“移動している” ただそれだけで、何かをしている、という感覚になるのは僕だけではないはず。
やはり自分の家でぼーっとしている時なんかは、よくわからない焦燥感に襲われます。

願わくば、何も考えなくて良いほどの忙殺を。
そこには僕の家がある。
マイホームではない、家が。
「ハウス、イズ、ノット、マイ、ホーム」誰が云った言葉かは覚えておりませんが。

“ノット・マイ・ホーム・ハウス”に帰り、PCを起動すると、4つ積んであるはずの1つのHDDを認識しません。
データのバックアップ用に、デスクトップに指定してある重要なHDDが…。
直す作業に取り掛かろうと、タワーのフタを開けたらなぜか認識し始めました。
こういう、どこが悪いのかわからない故障みたいなものは、好きではありません。

“不機嫌な脳みそ”のまま風呂に入り、風呂から出て髪を乾かしていると、突然原因不明の腹痛に襲われました。
近年まれに見るその腹痛は、愚かなくらげをその場にひれ伏せさせました。
僕は這って部屋に行き、そのまま寝込みました。
そして、夢を見ました。
温もりが残っている幻が僕の肩に寄りかかる、そんな夢。
起き上がると、実に時間がだいぶ経過していました。
何故だか、不思議と身体の調子は良いようです。

「フィラデルフィア」という映画を買って、観てみました。
トム・ハンクスがゲイとして。
デンゼル・ワシントンがゲイ嫌いとして。
細かい事はともかくとしてこの映画は、なかなかに涙腺を揺さぶるものでした。
しかし、僕はゲイがあまり好きではないということに気づきました。
映画では論点はそこにせず、僕は映画の論点を論点にせず、という実に無為な時間であったわけではありますが、僕にとってはこの無為な日々こそが日常です。
それにしても「ブロークバック・マウンテン」にしてもゲイが論点でしたが、相変わらず僕はそれを論点にせず、無為な感動の中に泪を流していたっけ。
そして所詮、僕は何を見ても何をしても自分のことばかりなのですね。
そう考えるとまた泪が出そうになります。
最近涙もろいです。

たまに思うことがあります。
「仲間たちも遠くでがんばっているのか、そちらの天気はどうかな、友達の父親が骨折した、故郷の池に住んでいた鯉はまだ生きているみたいだ、図書館がつぶされて役所の片割れになっていた、今でも大きなサイズのニジマスは釣れない、タバコと酒をやめられたけど再開してしまうかもしれない、誰かに自慢できる人生は歩めているのかな、僕はどこか間違っているのかな、上手く人を愛せているのかな、“レジスタンス”は未だに続いているよ」

たくさんの言葉で敷き詰められた、それらは毒を失いません。
相変わらず、言葉は悪事によって生きてくるものです。
寝ても覚めても、新しい僕が始まります。
日々はそれでいて、残酷に過ぎていきます。
一瞬の閃光を掴みたい。
いつか誇れるような自分になるために。
模範解答はおろか、解答理由すら思い浮かばない、そんな愚かな僕の1日です。

少し前の君は、空に二つのハートを作っていた。
その二つが何を意味するのか、過去の僕も現在の僕もわからない。
未来の僕もわかり得ないだろう。

お店のドアを、小さな男の子が開けてくれました。
僕は少し照れくさそうな顔で、お礼を云って店から出て、お気に入りの音楽をイヤホンで聴き、空に会釈をします。

変わり映えの無い毎日の中で、ほんの一瞬、ロマンチックなものが芽生える。
こんな1日のことを話せば、君はきっと笑うんだろう。
君が笑顔になる。
僕にとってはそんな些細なことが、何の変哲も無い毎日の中でも大事なものになる。
来週は笑顔の君と会えるのだろうか。