くうちゅうくらげ

-A Boys Named No.28-

哀しみの中で死ねよ。

日々をまとめて週末に投下するというやり方は、自分には向いていないと思いました。
何度思ったことか。
なんせ、変わる。
僕はそのことについては、驚くほどに自分を信用していない。
だから、短くても出来るだけコンスタントに投下しておこう。

それと、ある程度長い文章を書くのは、やっぱり時間が必要です。
何かから刺激を受けて「今日はこれを書くぞ」っていうモチベーションみたいなのも必要。
いや、そっちの方が大事か。
書きたいことがあるときは時間割いてでも書くもんな…。
まあ、そんなこんなで書くことについてウダウダと悩んでいるわけです。

近所に結構大きな公園がある。
昼に散歩をするとこれが凄いんだ。
もう少しで暖かくなるから、そうしたらたくさん写真でも撮ろう。
少し夢が広がる。
この街を見納める時は此処にしよう。
それにしても、いつになったら引っ越すんだ僕は。
予定では2011年の10月の予定だろ。

“将来について”を聞かれて、心底不機嫌になった。
苦渋の表情を浮かべて、心の底から「生きてればいいよね」を絞り出すのに精一杯だからだ。
そして家に帰り、画面を見て少し経ってから、暇ならもっと違うことやれよ、といつものように思ってPCの電源を落とす。
ほとんどのものがいらないものに思える。
年始に新調したばかりの、決して安くはないこのPCも。

最近は仕事のしすぎの反動か、遠くへ行ってみたい想いに駆られることが多いので、本屋に寄って観光ガイドを読みながら色々と考えるのです。
今まで月に200時間も働けば必ず音をあげるほどの弱虫が、今月は既に300時間を越しているという、実に素晴らしいご奉仕ぶりです。
そりゃ出かけたくもなりますよね。

しかしね、僕よりも年下のヤツらの中には、既に400時間に届くとか届かないとかというお馬鹿もいるので、その人らの前で「疲れた眠い」は禁句ですね。
「大丈夫かぁ〜、たまには休めよぉ〜」という言葉の裏で「いいぞ!もっとやれ!過労死しろ!下衆!」と思っている自分がいます。
好きでやってんだから。
確実に。
そう、僕はそういう男ですよ、本当に。

僕は“手に入れた瞬間に悲しくなる”という想いを、今まで何度も経験してきたわけですが、何度経験をしてもこの感情に慣れる術など見つかりませんね。
追いかけることの幸せと苦しさについてはもう二度と味わいたくはないものですが、どっちが楽しいかと云えば。答えは出せませんよ、ホント。
優劣や好悪でもなく、言葉無しで伝わる場所もあるってことです。
厳密に云えば、沈黙でも通じる相手はいるってことだとも。


先週の僕は君に対して非常に愚かなことをしたのではないかと、ジョージ・クルーニー主演の『ラスト・ターゲット』というとてもつまらない映画を観ながら思った。
独りよがりに恋人を巻き込むって、なんて最低なことでしょう。
だけど、僕は謝らない。
最低な気分というのも時には必要だからね。

僕だって思うよ。
「僕たちだけが幸せになっていいのか」って。
「僕たちだけが生き続けていいのか」って。
「あなたは何も出来なかったし、しなかったじゃない!」
って云われるとき、僕は死ぬほど哀しい気持ちになるんだ。