くうちゅうくらげ

-A Boys Named No.28-

レジスタンスは其処へ。

少しまとまりつつあることを書くことにする。

僕は、世の中のほとんどのことに関心がない。
なぜなら、世の中のほとんどのことは僕にとって、関係がないからだ。
現在でも色々な事が起っていて、たとえば音楽だったりだとかファッションだったりだとか、いわゆる流行というものがあるようだし、それ以外の観点からでも「将来的に」考えれば僕がどんどん言及していっても良いような問題もあるとは思う。

それにしても、まったくついていけない。
リアルタイムについていけない。
ただ疲れてしまうだけなのだ。

そんなわけで、少し考えてみた。
まず第一に僕の人生は仕事に圧殺されている。
誤解のないように、望んで其処でそうしている、という事も書いておこう。
つまり、忙しくて余裕がないけれど、僕は被害者ではない、という事。
それに対して自分の事が可哀想だなんて一切思っていないという事。
それらを前提に置いた上で。

暇が全くない。
週6か7、毎日15時間以上働き、帰って眠り、休日は映画を観たり、1日中寝ていたりする。
つまりそういう生活をしていると、世の中の動きが把握できなくなる。
しかし、驚くことに、把握できなくて窮屈に思ったことが全くない。

ここまで書いておけば、ある程度確信めいた答えを出すしかないのだと思う。
「暇」だから。
要はそれだけだと思った。
“彼ら”は暇だから、いや、余裕があるからといった方が良いかもしれない。
そう、僕には余裕が全くない。
だから、僕は“余裕がある人間”に対して、とても醜い妬みの視線を送っている。
どちらが良いとか悪いとかの問題ではないとは思うが。

たとえば、野球の結果を知らなくてもアイドルの名前を知らなくても首相の名前を知らなくても、生きていける。
もしかしたら、知っていた方が“より豊かに”生きることが出来るかもしれない。
しかし、僕にとっては明らかに、今抱えている仕事を効率的にする方法とか考えていたほうが“より豊か”な気がするし。
原発反対!」と叫ぶよりも、道路を渡る前に右左を確認する方が生存確率が上がる気がする。
つまり、目先の事しか考えていない。

こうした考えの背景には、もちろん僕より先に逝った友の影がある。
僕は思っているよりも先が永くないかもしれないということ。
あとは、僕が学生時代に愛読していた師の云う「現在を生きよ」からの洗脳めいたものもあるかもしれない。

僕はたぶんシーズンが始まれば野球を観るし、ユーロが始まればたぶんサッカーも観ると思う。
映画は週に最低でも5本ペースで観ているし、今年も旅行にたくさん行くと思う。
音楽もジャズと洋楽ならば、割と知っている方だと思う。
しかし、それらを誰かに語りたいと思った事はあったにしても、実際に語っていて楽しいと思ったことがない。
共有したいと思わない。
僕にだけわかれば良いものだ、とすら思う。
つまり、否定する人間は敵でしかなくなってしまう。

「関係性を貪るような」と彼は云っていた。
僕にはそれを貪る必要がない“側の人間”である気がする。
直接触れることの出来る、家族がいて、友がいて、恋人がいる。
事足りている。
つまり、僕は“恵まれている”ということになる。
だからどうも、彼らと共鳴を謳歌することが出来ない。
「違う」のだろう。
根本的に。
その場所に妙な孤独感と、妙な違和感を感じるのも、すべてここにあるのだと思う。

僕は「誰も僕の考えについていけないのだろう」という偉そうな自己陶酔を棄てきれず、その中に哀しみがあるのだと思っていた。
しかし、それは違った。
情けない結論ではあるかもしれないけれど、僕は生まれてしまったこと自体に哀しみがある。
つまり、これは誰といても何をしていても拭えない、永劫の哀しみであると。
棄てない覚悟をした、と僕は確かにその日に思ったことがあったのだが、そのまさか、哀しみが僕なのである。
だから、哀しくない人間を信じないし、哀しみを背負わない人間をおかしな角度から見下しているのだと。
僕にとって、楽しい人生は、あわれな憎しみと嫉妬の対象なのである。
レジスタンス”はそこへ。
そういうことだった。

嗚呼、僕はわがままである。
傲慢である。
しかしこの年までこういう事を考えていて、それが直らないというのはもう直す気がないという事に他ならない。
つまり知らない内に、こういう自分を認めていたのか。
きっと開き直っていたのだろう。


そういえば、1年前のこの日もそうだった。

東北地方太平洋沖地震で、僕に直接的なダメージは一切なかった。
実際にはあったのかもしれないが、それは気がつかないほど小さなものだった。
覚えている限りでは「電車が止まって仕事に遅刻した」とかその程度のもの。
そういう意味では、本当に一切なかったと言い切っていい。

僕の親族や友人はあちら側には一人もいないし、僕にいないとなれば僕の両親や身近な友達にもいないということになる。
だから、世の中で圧倒的なスピードで展開される募金活動や所謂「絆」ってやつを物語を見るように傍観するしかなかった。
もちろんそれが幸せな事だとは気づきながら、それに対して全く何もしなかったし、考える事もなかった。

僕は直接触れなかった。
もっと厳密に云えば、「触れることは出来なかったし、これからも出来ることがないだろう」ということだけど。

しかし、友は泣いた。
もしかしたら、君も泣いていたのかもしれない。
もしかしたら、もっと大勢の人が。
それだけで、今日は祈りを捧げる価値はあると思った。


僕は哀しい人間を絶対に責めたりはしないだろう。
しかし、いつまで楽しい人間の敵で在り続けるのだろうか。
「僕は楽しくあってはいけない」というものが、そのまま十字架となるか。
それでも僕の明日はひかりに照らされて、以前よりも明るいことを確信している。
それをまだ恐れていて、どうしても一歩踏み出せない。