くうちゅうくらげ

-A Boys Named No.28-

My Epitaph. #11

  • 3/7(Wednesday)

・仕事をしてきた。15時間くらい働いた。つい先日まで「やることがなく、いるだけ」と云っていた状況とは天と地ほどの差がある。つまり、あれが嵐の前の静けさってやつだったのか。とはいえ、忙しい以外には特筆すべきことは何も起きなかった。本来はこれから休みの予定だったのだが、インフルエンザで倒れた人の代理で休日出勤が確定した。特にやることもないので、まあ良いだろう。風邪菌が蔓延している職場に長時間いることもあり、体調だけが心配である。

・ひとつ思い至ったことがあり、性懲りもなく「こどもうた」に再び投下し始めました。断片の中の断片を。僕の“秘蔵ノート”に綴っているものなどを。つまり、またひとつ曲を描こうとしているのです。時間などないですが。仕事の合間を縫って、ダラダラと2週間ほど描いてみたいと思っています。

・確かに僕は人一倍哀しみを抱えているのではないかと自負はしていますが、それはただ他の人が簡単に棄ててきたゴミのようなものを大事に抱えているだけに過ぎない話なのでした。別の側面から見れば、その哀しみを愉しんでいるとでも。なぜならばその中に帰るべき“マイホーム”が、きっとあるのだから。おやすみなさい。

  • 3/8(Thursday)

・仕事をしてきた。休日出勤、及び、いつもより遅い出勤だったせいもあり、到着したら既に色々な事が済んでいた。何のために来たのかはよくわからないが、少しだけ働いた。任されていたことをこなして少し評価された。誰にって、自分に。誰も褒めてなんてくれないのですから、せめて自分で自分を称賛してやらないとね。明日も仕事です。

・何を書きたいのかわからない、という感情の時ほど、更新頻度が高くなっていくのはもはや仕方のないことです。書いていないと思考を固定できないわけです。どんなことでもいい、というのは僕のような一種の人間にとっては救いです。何かあれば、いや、なくても、その都度書き続けなさいと、僕の神は云い続けております。それでね!僕の神とは実は僕なんだって!

・言葉はここで、ということに決めた。他の場所では極力、沈黙を。家では静寂を。誰にも屈服しない生き方というのはなんて素敵なものでしょう。願わくば僕もそうありたいものです。いつか僕という人間が誰かに回収されて、それこそ自分自身に回帰する時があるとしたら。云ったじゃないか。それは“僕の正義”からはだいぶ距離があるんだよ、って。君は知ってる、あなたも知ってる、そして僕も知ってる。僕に勇気を出させてくれたのはあなたなのだと、こういう形でも、間違った形でも、友にそう伝えられれば良いと思う。今でも此処を見てくれていることに、ただただ感謝を。おやすみなさい。

  • 3/9(Friday)

・仕事をしてきた。なんだか妙に楽しかったので、長くいすぎてしまった。ある程度連勤が続くと、不思議と安定してくるものなのだと思った。それはたぶん、諦めが連れてくるものの一つでしょう。生きていくのには、やはりある程度の諦めが必要です。と、そう考えること自体が一種の諦めなのですが。今日は久々の休み。深夜はまとまったテキストでも書く時間に充てたいところです。おやすみなさい。

・夕方に起きたら、既に僕の部屋に君がいた。君が永遠と云う言葉に対してあまり良い印象を持っていないということを聞いて、心底驚いた。「僕も一緒だよ」なんて云いながら、お互いに違うことをした。僕が支えるならこの人で、僕が支えられるならこの人しかいないのだろうと心から思った。その愚かな決断はいつになったら血を流すのだろう。僕はそれが恐ろしくて仕方が無いのだ。そんな気持ちを抱えながら、僕はいつまで君のことを口説くのだろうか、と疑問になっていた。「幸せならそれでいいよね」は救いようのないほど卑怯な言葉だと思った。

・父に家をたたき出された時に、母に「金を貸してくれ」と云ったのが、僕が記憶にある中では最初で最後の“お願い”だったと思っていたのだけど、そういえばあの日「お願いだからそばにいてくれ」と云った時のことを、君が帰った後に思い出した。思えばいつも、君は黙ってそばにいてくれた。僕は一生それに対する恩を忘れない。

・発信しているというにはおこがましすぎるが、日を記載するという意味では、やり方は間違っていないと思った。自分にしか意味が無いのかもしれないけれど、僕は他人が紡ぐ“自分にしか意味がないもの”がとても好きなのだから。いつかの僕を救った他人が在るように、いつかの他人を救う僕も在るのだと。