くうちゅうくらげ

-A Boys Named No.28-

太陽の片隅。

サボっていた。

というのも、職場で毎日のように12時間以上PCの前でカタカタして、休日は休日で休む暇もなく友人と酒を飲んだりゲームしたりしていて、帰ってから、PCに向かって何かを書こうという気はとてもじゃないけれど起きなかったからだ。
というか、書けるほどの時間すらなかった。

能動的に会話を貪らなければ、1年中寡黙でいられるような環境にいたのだが、ここの所、否応がなく他人と会話をしなくてはならないような環境にいるので、色々と擦り減って、そういう意味でも、何かを書くどころではなかった。
反省。

気がついたらもう外は完全に暖かくなっていて、僕は着々と夏の“センテンス”へと歩を進めている。
憂鬱だね、実に。

ここ数日、僕は特に誰からも何からも摂取せずに生きてみたが、案外自分が未だ言葉に出来ていないことがたくさんあるんだと云う事を思い知った。

僕は2011年8月30日に、長年続けていたものをやめてしまった。
それからというものの、熱中できるものが皆無に等しくなってしまった。
仕事はほそぼそと続けているし、交友も特に問題はないが、どうも空虚な気持ちになることが多い。
同居人はニートになってゲームにハマっている。
生産性というものはゲームにはないが、熱中できるものがあるのことは、良いことだと思っている。

それと。
最近「俺は俺、そしてこれを貫く」という姿勢が、とても嫌になってきた。
そもそもそれこそが自分自身の到達点だったわけで
目標でもあったのだけど。
もっと厳密に云えば、そういうスタンスの文章を見たり、そういうスタンスの人と会話をしたりすると、「なんだかなぁ」と思ってしまうことが増えた。
理由はわからん。
だからといって「流されるこそこそ善」というものに同調するかと云われれば、それはそれでそうでもない。

いやいや、
僕は十分楽しいよ。
何につけたって。

最近、何故か金はないが、まあ金は最低限あれば生きていけるものだし
面倒だから詳しくは書かないけれど、それに相まってどうやら僕は「節約」の意味をようやく知ったらしい。
自炊ですね、自炊。
米炊いたり、パスタ茹でたりして、レトルトを使うだけでコンビニ弁当の1/10くらいになるのだから。
この手段を知れたのはもうけもんだと思っている。


それと。
待ちに待ったMLBが開幕した。
僕が応援しているナショナル・リーグの中地区のシンシナティ・レッズヒューストン・アストロズは、まあまあ普通の滑り出し。
密かに応援しているフィラデルフィア・フィリーズは打線が繋がらずに負けている。

ニューヨーク・メッツの調子が何故か良い。
弱小カブスはいつまでも弱小のまま。
デトロイト・タイガーステキサス・レンジャーズは相変わらず強い。
ダルビッシュが注目されているが、テキサス・レンジャーズが好きではないので、どうでもいい。
打たれまくって欲しいとすら思っている。
実際打たれまくっていたが。
って、こんなのはグーグルでいくらでも調べられるので、特に書く必要もないね。
とにかく、頑張れシンシナティ!頑張れヒューストン!と云ったところか。

普通の日記って云うのはこういうものだね。
書いてるほうも見てるほうも楽しくない。


この時期になると、色々と思い出す。

僕は来週末に都内のホテルでピアノの演奏をする予定です。
良い息抜きになればいいな。


クソみたいな日々に花束を。
最期を願うのはまだ早い。