くうちゅうくらげ

-A Boys Named No.28-

死にながら生きる。

根本的に何もしないという抵抗を示すレジスタンスなどと云っていたら、本当に何もしなくなったので困る。呼吸すら忘れそうになったよ。そしてインターネットから完全に離脱した僕は、眠る前に「たとえば僕が死んだら」を考える。

とはいえ、空を見上げたり見下げたりしながら、当たり前のような日々が続くのみである。

書くべきことがなかったわけではないし、書こうと思えば、書けることもあったかもしれない。云うべきことがなかったわけではないし、云おうと思えば、云えることもあったかもしれない。でも僕は色々な事をやめてしまう決意をしたよ。既にやめてしまったものもたくさんあるけれど。

僕は僕のことをもうとうの昔に信じていないし、誰の事も信じていなかったことを実感する。既に悲観は明確に形を成しており、言葉は悪事によってしか生きることはないのだと確信する。毎日、毎日ね、たまにじゃない。この気持ちがわかるか。君は分かりえないだろう、絶対に。

ある日から僕は「いつか、どこかで」を信じる事はしなくなっていたし、徐々に生活に支配されていく生活に飲み込まれていき、上を向いているのか下を向いているのか、右に進んでいるのか左に進んでいるのかもわからなくなっていたような気がする。

「善悪はない、それが正否もない、思うがままに行動していれば」というのは、結局は誰からも、僕の行動に文句を付けて欲しくなかったからだろう。大体そういう事を云う人間に限って、善悪や正否にうるさいということだ。そしてそれは今になって思えば別段、珍しくもない、何の変哲もないようなことのような気もする。

「それで?」
「うん、そうだね」
「私は未来を見れないから、そのうち終わりにすると思う」
「うん」
「きっと見えるはずだと、努力はしたんだけどね」
「知ってる」
「ねえ」
「なに?」
「あっちでもあなたと一緒にいられたら幸せだと思う」
「うん、そうだね」
「…いや、そうだったね、何を期待してたんだろうね、僕は」

僕と君は背中合わせに座って、曇り空に向かって苦笑いをしてみた。世界や他人が僕に優しい顔をするときには、僕はもう生きていないのだろうと思いながら。

いつか僕がインターネットを忘れるときが来たら。
いつかインターネットが僕を忘れるときが来たら。
いつか両親が僕を忘れるときが来たら。
いつか僕が両親を忘れるときが来たら。
いつか君が僕を忘れるときが来たら。
いつか僕が君を忘れるときが来たら。

きっとその時は、とても幸せな瞬間だと思うんだ。
海底でくらげはそういう風に、思うよ。

今更わかったよ。永遠どころかスタートもしていない内に、みんなの彷徨の時期は死んでしまったんだね。理解者に自らの感性を合わせる必要はないよ。これ以上、何かを取り繕う必要なんて、もうないよ。上手く文章にまとめる理由も、その企図も、もうないよ。それじゃあ、あとはその屍骸を分解しながら行こうか。

誰よりも一人負けはイヤだと云っていた僕は、気付いたら独りで負けていた。

嗚呼、僕が。
幼い頃の僕が、泣いているよ。
助けにいかないと、今すぐ助けないと。
小さな僕が、独りで、泣いているよ。
今すぐ行かないと。
ごめん、僕には無理だった。
それでも嗚咽しながら、僕は行くよ。

暗いマンションに独り佇んで、残された結果だけ見つめながら。

―例えば僕はこういった文章に、こういった言葉に、何の期待をしていたというんだろうね

今となってはわからないものや見えないものが多すぎるんだ。

やっぱり、戻ってきてほしい。やっぱり、そばにいてほしかった。ねえちゃん、僕は君にいなくなってほしくなんてなかった。