くうちゅうくらげ

-A Boys Named No.28-

ただ、美しいと思っていたかった。

そもそも僕が音楽に没頭していたのも、凄まじいまでのコンプレックスの克服と云った方が正しいでしょう。

それはどんなコンプレックスだったのか、いざ考え始めると具体的なワードが思いつかないほど頭の悪い僕ですが、「生き辛かった」から。

どうしてそんなに生き辛かったのかというと、よくわかんないのです。

人よりちょっとだけ人のことを信じられなくて、ちょっとだけ若いうちから未来を悲観していたからなのかもしれません。

 

僕はジャズが好きでした。

涙が出そうになるくらい、本当にジャズが好きでした。

僕の友達は5歳の時に爺さんに買ってもらった、エレクトーンで、家族旅行に出かける時、僕が一番楽しみにしていたのは、現地に着く前に父の車のステレオからジャズが流れているときでした。

小学生の時に、母の手伝いをして小遣いを少し底上げしてもらって良く近所の古いレコードやCDが売っている店に足を運んだものです。

 

思えば、僕が一番最初に「これは生き辛いかもしれない」と感じたのは、小学生低学年の時に発表会に友達や家族を招待したのですが、誰も見に来てくれなかった時です。

おめかしをして、ステージに立って、母や友達の姿を探して「どこかにいるんだろう」と思って、終わって、来てなかったことがわかって、控え室の隅の方で泣いていたっけ。

 

だけど、僕はそれからも人前でピアノを弾くのが好きでした。

クラスの合唱会で、伴奏を担当した時も、終わるまで家族なんかは誰も僕が伴奏をしてることを知らなかったのですが、それでも良かったんです。

楽しみはそこにしかなかったのですから。

 

「誰にも必要とされない」という僕のこのコンプレックスは他人から見ればたいていがうんこでした。

ですが、僕にとってはこのコンプレックスはうんこじゃなかったんです。

このうんこほどのコンプレックスはこのブログの「TheStarView」というカテゴリにある数だけ、多くの曲を作らせました。

「TheStarView」というカテゴリにあるものは、すべて僕の楽曲の礎です。

僕は楽曲を作成する際に、まずは詩からイメージを作り出して創作するということをしてきました。

その掃き溜めが「TheStarView」に綴ってある文章たちです。

なので、あのカテゴリこそが、今まで僕の足を支えてきたものです。

そもそもこのカテゴリ自体、元々は別のブログで掲載させてもらっていたものなんですが、うんこはうんこなりに肥だめに破棄しようということになったのでここに封印しています。

現時点で総204曲分。

 

駄作でしかないものがたくさんあるのですが、僕のうんこはある方面ではそれなりに評価されました。

どのくらいの評価かというと、これ一本では生きるのに苦労しまくるので、ふつうに仕事をしながらじゃなけりゃ生活はできないという程度です。

僕はこれらの楽曲を以て、今まで連綿と演奏をしてきました。

高校の頃からバイトしていたジャズバーをはじめ、がんばって契約を取ったホテルや、ラウンジ、時には海外のコンサートホールなどで。

 

僕は美しい世界を追い続けていました。

一時期の僕はこの「美しさ」を、誰かにわかってもらいたかったんだと思います。

この生活を続けていれば、もしかしたら間違って誰かがこのうんこを評価してくれるかもしれないと淡い期待を抱いてしまったんです。

そもそもこれが大きな間違いだったんですが、もしかしたらもしかしたらと思ってずっと続けてきたんです。

 

だけど、僕は評価してもらうことは諦めました。

2年ほど前、ずっと情熱を注いでいたものが、パタっと息絶えてしまった。

ある時から突然、拍手をされてステージに繰り出す時、気を失いそうになることが増えてしまったからです。

それは悦びではなく、恐怖からです。

僕はその時からてんで難易度も高くない楽曲でも、信じられないほどのミスを連発したり、毎度クライアントから苦言を呈されたりされました。

変な夢もたくさん見ました。

それからというものの、個人的に創作をするはいいものの、演奏すらしないか、演奏をしたとしてもBGM代わりとしてか、結婚式場の隅っこか、とにかく目立たなくて誰も目に付かない場所にすると決めました。

そして僕がしたとても大きな決断は、基本的に演奏で金を貰わないと決めたことです。

 

あれから数年経過しましたが、結果的には無理なんやねと思って仕事としての演奏はやめてしまったわけですけど、それでも僕は自分のやっていたことに後悔はしません。

ピアノを弾くのはやめないけど、もう評価されたいと思わないということもやめない。

これはこれでよかったんだと、自分では燃焼しているからいいんです。

それでもまだガーシュインをはじめとした数多くのジャズや、ドビュッシーアラベスクやサティのジムノペティやショパンの夜想曲第二番なんかくらいは世界にいるどんなアーティストにも負けるはずがないという無駄な自信くらいはあります。

 

どうしていきなりこんなことを書き始めたのかというと、僕が以前お世話になっていた音楽教室で幼稚園、小学生の定期発表会があるというので、先生にお誘いを受けて行ってきたからです。

 

たった一人の小学生が、キョロキョロして、おぼつかない腕を振るう。

終わってからもキョロキョロして、あたりを見回す。

ミスに涙ぐみながらも、何度も練習したフレーズを刻む。

ただの平日に、お世辞にも多いとはいえない観客のまばらな拍手が響く。

 

突然、僕の方も涙が溢れた。

「誰も見ていなくたって」

そうだったんだよ。

「何処にもいなくても」

そうだったんだよ。

「誰にもわからなくても」

そうだったんだよ。

僕も好きだったんだよ、その場所が。

 

僕は何度だって教えて欲しい。

僕はいつだって思い出させて欲しい。

幸せだったんだと。

美しかったんだと。

生きてきて良かったんだと。

だから、僕は何度だって涙を流す。

僕は見ている。

その場所ほど美しい世界は、ないのだから。

会場には、僕の拍手だけがずっと鳴っていた。