ふるさと。
東京駅から電車に揺られて約1時間半、越後湯沢で乗り換えて、ふざけた名前のローカル線に更に揺られること更に2時間経った所に、富山県黒部市という場所があります。
そこは、親父とかあちゃんの故郷であり、僕のふるさとでもあります。
親父の勤務先が東京に移ったのは、僕が中学生の時。
それまでは爺ちゃんと婆ちゃんと一緒にかの地で暮らしていました。
僕はというと、東京に住んでからも3ヶ月にいっぺんくらいそこに戻りました。
なぜかというと爺ちゃんがいるからです。
僕の両親は仕事柄激務で家に帰らないような人だったので、僕は爺ちゃんと婆ちゃんに育てられたといっても過言ではありません。
爺ちゃんはかなりユニークな人で、いろいろなことを一緒にしました。
渓流釣りの自称プロという爺ちゃんは、農家からの成り上がりで某会社の社長まで上り詰めた人物で、親父曰く頑固な人。
フライフィッシングも海釣りも虫取りも美味い漬け物の作り方も、ほとんど全て爺ちゃんに教わりました。
後は、ここに戻ってきたら、髪を切りに床屋に行くのも日課でした。
世の中にはコンビニの上が家という人もいますし、隣が八百屋という家もあります。
僕の場合は、小さな床屋がそれでした。
歩いて10歩の所にある床屋。
それが「髪切りじいちゃん」我が家では通称「床じい」の家です。
その床屋は、奥さんである婆ちゃんと、二代目である息子と、見習いの弟子の4人で経営しています。
見習いの弟子以外は僕が小さな頃から同じメンツです。
その道約60年という「床じい」の腕前はとんでもなくプロです。
更にそれだけでなく「床じい」はとんでもなくエロです。
小学生の頃はさすがに遠慮していたのかわかりませんが、僕が中学生になってからは、帰省する度に「東京のねえちゃんはエロいだろ!」と無駄に興奮した様子で尋ねてきます。
更に自分の若い頃の下ネタ話をえげつなく語り、隣の婆ちゃんは常に苦笑したり怪訝な目で見たりしています。
そしていつものように散髪と顔剃りが終わると「床じい」は必ず一枚の紙を渡してきます。
「あんまり上手くねえだろ?」とそういう所だけ控えめな「床じい」の自信の一筆。
それは筆で大きく書かれたおなじみの「今月の一筆」という毛筆です。
来てくれるお客さんに感謝の意を込めて作っているそうで、小さな頃から行く度に手渡してくれます。
僕はというと、「またかよー」なんておどけながら、実は机の一番下の引き出しにそれらをファイルに入れて、保存してたります。
ある日、確かあれは高校時代です。
帰省した僕を見つけた「床じい」は店の前で語りかけました。
「テツマ、どこいくんじゃい 髪切っていかんか!」
「悪いけど俺、今回は美容室に行くんだ。金髪にしたいから。床じいにはできないだろ」
「俺でも金髪くらいできるで!」
そう云って「床じい」はギャッツビーのブリーチを片手に、それでもプロ並の手さばきで僕の頭を染めました。
そして、僕の頭はチョコボ色になりました。
歩く度に「てってれ てれてれ てってってー♪」というおなじみのBGMが流れるかの勢いです。
友人にはある程度バカにされましたが、夏休みの間は誇らしげにチョコボでいたものです。
あの場所が、僕のふるさとです。
学生時代から夏休みともなるとすぐに爺ちゃんから電話がかかってきて、「テツマはいつくるんじゃい」と問いつめては、かあちゃんに迷惑をかけていました。
昔から遊びたい放題の爺ちゃんは、僕が帰る度に喜んでくれました。
僕には兄も妹もいるのですが、僕と違って無駄に真面目なので「帰省するくらいだったら勉強するわい」と云って、なかなかふるさとに帰りません。
妹なんて「爺ちゃんの話、長いんだもん」と云い出す始末です。
そんなこともあって、帰るのは僕だけとなってきたので、僕と爺ちゃんは仲良しです。
遊びに行くとすぐに、じいちゃんの手作りの釣り竿を持って海に出かけます。
僕がデカい当たりを逃すと、爺ちゃんは自分のことのように悔しがります。
「あの引きは、カンパチだったな、ちくしょう」とか云いながら。
ある程度疲れてくると、お決まりの銭湯で一緒に汗を流します。
そして帰ってから、婆ちゃんの手作りの美味いメシと釣ってきた魚を食い、翌日のフライフィッシング用の疑似餌の仕掛けを一緒に作ります。
疑似餌を作ったり、フライフィッシングの“投げ”の練習をしながら、学校でどんなことがあったとか、将来はどんな風になりたいとか、あそこの渓流はイマイチ釣れなくなったとか、アルペンルートの観光客が川を汚すから大変だとか、親父の小さい頃の話とか、みんなで黒部ダムにいったときのこと覚えているかとか、いろいろと話します。
あれが、僕のふるさとです。
それと、爺ちゃんと婆ちゃんが毎回戻る度に楽しみにしてくれているのが、僕の演奏です。
「テツマが気に入るものを買ってきたんだよ」という年期の入ったエレクトーンを前に、僕は爺ちゃん婆ちゃんを観客にして、覚えたクラシックとか作ったジャズとかを披露します。
家や学校では誰も聞いてくれない僕の演奏も、爺ちゃんと婆ちゃんは喜んで、終わる度に拍手をしてくれます。
来年はどんなものが聴けるかな、と楽しみにしてくれます。
そして、爺ちゃんと布団を並べて寝ます。
あそこが、僕のふるさとです。
朝になると、爺ちゃんは勢い良く起き、僕を起こして海辺の公園への散歩に誘ってきます。
僕は寝ぼけ眼で、じいちゃんの後について歩きます。
公園に行く途中、家からそう遠くない場所に、親父の弟、つまり叔父さんの家があります。
叔父さんには娘がいて、僕の1つ年上の女の子で、名前をひかりちゃんといいます。
彼女とたまたま帰省期間が合うと、叔父さんの家に寄って連れ立って一緒に歩きます。
爺ちゃんと、男の子と、女の子は歩きます。
海辺の公園を3人で。
たまに海に石を投げたりします。
誰が一番遠くまで飛ぶか、よく競い合ったっけ。
いつも爺ちゃんが勝って、男の子と女の子はブーブー云いながら、それでも魚津港に浮かぶ綺麗な朝焼けを見てぼーっとしてたっけ。
そこが、僕のふるさとです。
いつの日か、僕は良くないことと知りながら、爺ちゃん抜きで、その女の子と良く連れ立って、いろいろな場所にいきました。
東京に来てからも、クソくだらない名前の公園で、海を眺めたり、プレゼントを交換したり、キスしたりしてました。
それが好きと呼ぶには煩わしくて、だけど恋と呼ぶには深すぎて、僕たちは似たようなDNAで愚かしい出来事を愛という名の戯言で、隠し続けました。
だけど、僕は、いや僕たちは、あの夕陽が沈んでいくたびに、どうだって良いんだって、何度も思い直したんだっけ。
そうそう、ひかりちゃんはくらげが好きで、だから僕もくらげが好きで、僕は従姉妹のひかりちゃんっていうお姉ちゃんが好きで、きっとそのお姉ちゃんも僕のことが好きで、きっとずっと。
ある日、いつもと違う様子でふるさとに戻った僕は、失った光彩で眼下を見下ろしました。
ひかりちゃんは酷く泣いていて、爺ちゃんは病院のベッドの上で、白いシーツを布団にして、寝ていました。
爺ちゃんは最後の方、婆ちゃんに「テツマはいつ戻ってくるんじゃい」と云ったらしいです。
そして「音楽を聴かせてくれ」と。
爺ちゃん、とにかくそんなとこで寝てたら、寒いよね。
どうしたらいいんだろう。
こんな時って、どうしていたっけ。
ひかりちゃん、僕はなんて云えばいいんだっけ。
親父やおふくろは、こういう時、どうしていたっけ。
爺ちゃん、僕はまた戻ってきましたよ。
うん、爺ちゃん、僕はたぶん上手くやれている。
婆ちゃんが用意した花束と作った曲の楽譜を持って、また戻ってきた。
そういえば報告。
この間、夢を見ましたよ。
僕はなぜか全裸で、そしてたくさんの観衆の前で、冷や汗をかきながら、それでもなんとか耐え凌いだよ、ちゃんとひかり姉ちゃんも床じいも見てくれてたから、何度も何度も心の中で「爺ちゃん、爺ちゃん、爺ちゃん!」と叫びながら。
爺ちゃん、僕ってどうしてこんなに辛いんだっけ。
ひかり姉ちゃんと一緒に入れた「一人でも生きていける」のドイツ語のイタイ入れ墨とか意味ないんだっけ。
好きなことずっとしてたはずなのになんでこんなに僕って生きたくないんだっけ。
爺ちゃんもひかり姉ちゃんも床じいもみんなそっち行っちゃって、なんで大事にしてくれた人から手放してしまうんだっけ。
どうして手放されてしまうんだっけ。
僕が辛かったときは、全部ひかり姉ちゃんが赦してくれたっけ。
姉ちゃん、ひかり姉ちゃん、姉ちゃん。
爺ちゃんはこんな時、なんて云ってたっけ。
大事なことは何一つ覚えてないけど、爺ちゃんいつか、ひかりちゃんが作った砂のお城を壊して、これまでになく怒られていたっけ。
そういうくだらないことは覚えているよ。
ああ、もしかしたら生きているのかもしれないね。
爺ちゃんもひかり姉ちゃんも僕も。
目を瞑れば、すぐに出てくるもんな。
そうやっていつまでも僕の中ではずっと生きてるのに、爺ちゃんも姉ちゃんもなんで土の中なんだよ。
出て来いよ。
そうだよね、出て来ないよね。
「死んだらオシマイだよな」って僕が自分で云ってたんだっけ。
そしたら、せめて僕だけは納得しなくちゃいけないよね。
そういう風に云った時、姉ちゃんも爺ちゃんもとても哀しそうな顔してたっけ。
あと一回でもいいから会いたいって僕が云ったら、爺ちゃんは怒るかな。
姉ちゃんはなんていうのかな。
叱咤でもいいから聞かせてくれよ。
ああ、そうだよな。
「死んだらオシマイだよな」って僕が自分で云ってたんだっけ。
あはは。
だったらなんで俺は泣くんだよ!
どうしようもなく!
ここまで来て人生やり直せんのかよ!
都会の雑踏から遠く離れた中、遠くで爺さんが釣り竿を立てている。
波打ち際に漂う漁船が埠頭に戻ってくる。
ああ、そろそろ大きな船がやってくる時間。
堤防を走り回る女の子。
夕暮れと夕飯の匂いの間から、僕の後ろの爺ちゃんの影が浮かぶ。
この情景を僕はいつでも刻む。
こんな曲が描けたらなと思って開いた真っ白な白線の上で、涙でインクが滲み出す。
機影が浮かんでは消えていって、涙も枯れてぼんやりと眺めていた。
隣から「そろそろ帰ろうよ」と「もっと一緒にいようよ」の応酬。
影しか見えなかった大きな船が低音と共に近づいてくる。
「もうやめようか」と唾棄する寸前に「また聴かせてよ」と鮮明に一つ年上の姉ちゃんの声が胸に響いた時、
僕のペンが走り出す。
ただ、痛ましいほどに空が青いー
この美しい世界が、僕の嫌いな夏だ。
そして、ここが、今ここが、僕のふるさとだ。