くうちゅうくらげ

-A Boys Named No.28-

壊れた街灯をジッと見てる。

この間ちょろっと書いたんですが(このへん)、某ホテルでの演奏をついさっき終えてきました。曲目はガーシュイン数曲、某クラシック曲数曲、某J-POPのオケ数曲、無駄なオリジナル数曲、と云った所です。こういう仕事というか、まあほぼボランティアですけど、くだらないことしてると相変わらず憂鬱な気分になってくるのであまりよろしくないです。

さっきまでid:Yatasunさんのテキスト(必要な分だけお金を稼げばいいじゃない)を読ませてもらってて思ったのは、こいつは良い意味でどうしようもねえなあということです。ちと引用までする元気ないんで、そこんとこは赦してくだせえ。風俗に興味がないというところ以外は兼ね同意です。いや、人様のテキストに同意という言葉を使うのはおかしいな、わかると云った方がいいか。

 

このどうしようもなさが結構好きです。世の中id:Yatasunさんや僕みたいなので溢れたらあっと云う間に世界崩壊します。でもまあこのどうしようもなさの好きなところは、世界すら別に崩壊してもしらんがなという圧倒的なやる気のなさを感じる所です。そこがまた良い。世界の放棄具合というか、いろいろと。僕が連綿と抱えている「なにもしねえという戦闘的ニヒリズム」と形容していると云って良い。それらは、僕がなかなか文章に起こせなかったものだ。

まあ僕の場合はニートになった所で養ってくれる人がいないし、たぶん親とか「好きに死んでどうぞ」って云います。そうなるといよいよ死ぬしかないので、死にたくない以上なんらかの仕事はしなきゃいけないわけです。しかも僕がニートになると家のうさぎも死ぬか食うかしかなくなるのでそれもかわいそうです。

僕の場合は金欲しかったんですよねえ。理由というとよくわかんないです。よくわかんないというか、上手く言葉に出来ないというほうが近いかもしれません。

なんていうか、僕なんかは以前から「コンプレックスは力なり」とか云ってきてますが、そこに起因されるものだと思います。僕なんか世間で云うところの俗物みたいなもんなので、かわいい女の子にモテる為には良い車とか欲しかったわけですよ。それに、良い車とかあれば間違って世界が僕のこと認めてくれるかもしれないじゃないですか。僕が5000万くらいするピアノとか買って練習したら、もしかしたらこの世に「必要なもん」くらいの認識にはしてもらえるかもしんない。ビバリーヒルズに豪邸とか建てられたら、今まで散々僕のことをバカにしてた人を見返してやることだって出来るんですよ。

しかし、実際は後輩に風俗とかキャバクラとか派手に奢ったり、マカオで豪遊したりして散財しただけでなにも貯蓄なんてしなかったわけですけど、それでもやっぱり生きてる以上、金使う以上は、勝手に社会に貢献してることになっちゃってたわけです。極端な話、キャバクラで連夜20万使う僕のような客が100人増えたら夜の業界は景気良くなるわけです。まあそれでキャバ嬢の給料が上がって、そいつらがシャネルとかヴィトンとか電マとか買えば、それなりに経済潤うらしいです。で、勝手に経済に貢献してることになっちゃってた僕はというと、女の子に高い飯を奢ってやってもセックスばかりかデートすらさせてもらえないっていう悲惨ぶりでしたので、金があれば幸せなのかって云われるとそうでもないんじゃないかなあと思うわけですが。

んでまあ、id:Yatasunさんのテキストとか読んでると、たぶん一部の人から見ればこういうのすべて無駄な努力なわけです。もしかしたら、一部どころの話じゃないかもしれない。もうこの身も蓋もないところがこの記事のたまらなく良い所です。でもまあ「最高ですね」の一言で終わらせてしまうと僕がテキスト書いてる意味がないんで、少し書いてます。


で、僕にとって金はというとたぶん選択肢です。たとえば3000円ならフィリピンパブで、6000円あればふつうのキャバクラに入れます。3000円しか持ってないならフィリピンパブという選択肢しか選べません。逆に1万円持ってれば、どっちも選べます。フィリピンパブとふつうのキャバクラのどっちがいいかというと、人それぞれです。好きでフィリピンパブに通う人だっていますから。万人にわかりやすいようにキャバクラで例えましたが、この選択肢だってあればあるだけ幸せかっていうとそんなこともないですし、一定の人間は選択肢があること自体煩わしいと思うことでしょう。さらに云うなら、はじめから選択肢がたくさんある人もいますし、すごく頑張っても、ぜんぜん選択肢がない人もいると思います。どちらにしたって、一つしか道がないなら、そこへ進むしかない。まあそっちのほうが楽です。そこに良いとか悪いとかはありません。

 

ただそうなったらそうなったで、道が一つしかないのは自分のせいだよねえという話でしかないんで、僕なりの価値観で云うとそこで「俺にもうちょっと選択肢があれば」とは云えないということになってきます。そんなのは高架下でワンカップ片手に「俺がこうなったのは社会のせい」とかいうおっさんとあんま大差ないです。ないです、というか、そう思います。まあ日本は割とゴネ得なところがあるんで、その辺一概には云えないですけど。

まとまりがなくなってきた。結局のところ、金の価値観とか人それぞれですけど、id:Yatasunさんが云うところの「本当に必要なもの」ってないんですよね。そもそもそう考えてしまったこと自体、賢いんですよ。これもう一度賢くなっちゃったらバカには戻れないんで、「本当に必要なもの」を探し始めた瞬間に生きるのつらくなります。残念ながら賢い人とか良く考えられる人にとっては、むしろ生き辛い世の中になってます。

 

ふつうのバカはそんなこと考えるまでもなく生きてキャバクラいって結婚してセックスとかして死んじゃうわけですから。んでまあふつうのバカはシャネルとかヴィトンとか電マとかベンツとかTENGAとか買って喜んだり、ヨーロッパとか行ってフェイスファッキンブックなんかで自分の写真とかUPしたりする。そんでそんな大勢のバカのおかげで経済とか社会とか潤う。なので、バカは大事だけど、無駄に賢い人とか良く考えちゃう人とかってあんま世界に欲しくないようになってる。「本当に必要なもの」を探すのは終わりのない旅であって、んで僕が推奨する「戦闘的ニヒリズム」の行き着く先は餓死です。だから生半可にニヒリズムとか推奨しちゃだめです。知らないうちに「なっちゃってた」ならもう仕方ないです。


ただ僕が云えるとすると、いくら仕事は生活のためだって云ったって、仕事なんて金の為にしてる人ばかりでもないんで、というか金の為だけにっていうのは逆に難しいんで、仕事は仕事でそれなりに何らかの価値はある。あるというか、僕にはあったというほうが正しい。なんかねえ、自分でも驚くことに認められたんですよね。仕事では。クソみたいな仕事でしたけど、やっぱり誰かが僕のことを「必要としてくれた」んですよ。これは何度も死にそうになった当時の自分の足を唯一支えてくれたものですよ。

思い返せば、ラウンジとバーでの仕事が週に4回程度あった頃。僕は相当な激務だったことを思い出させます。今でこそクソの上にクソを塗りたくったような人生を生きていますが、あの頃はほんとに無駄にがんばった。

 

週4のピアノの仕事、コンテストに出演するために週3日は4時間以上のリハ、家でほぼ毎日のように楽曲作成、本職も夜勤でほぼ寝ずに週5日は行き、無駄に彼女とかいたのでデートとかも行って、憂さを晴らす為に無駄にブログも書いてた。まあ当然端から見たら「なにが楽しくてやってんの」って感じでしかなかったと思いますが、案外当時の僕はきついきつい云いながらも楽しんでいたんだとも思います。でもこれって他の人から見たら「お前辛かったからなんだよ」って話でしかないんですけどね。

人間、動かなくなるとダメです。それは僕だけかもしんないですけど、本当に一度動かなくなるとたまにあるたったの8時間のバイトでもぜんぜんダメ、行く気起きない。休みの日は平気で12時間以上寝る。当然、今回の演奏も行く前から憂鬱であり、終わるまで終始憂鬱。週7休みなしで毎日16時間くらいはなにかしらやってた人間のしてることとは思えない。同じ人間だとあまり思えない。

そりゃ若さのせいにすることもできるのかもしんないですけど、というかそもそも僕はまだ24歳なので若いです。こんなまだまだこれからの時期にバーンアウトなんて悲しすぎます。確かにいろいろな事を無駄に経験してきた気もしますが、それにしたってまだまだこれからな気がします。でもこれから先にあの過酷な日々が待ち受けているとしたら、僕は間違いなく首を吊るでしょう。想像するだけでもイヤです。

自分の人生を後悔するつもりはないですが、もう少しかわいい女の子と遊んだり、セックスしたりしたかったです。なんかこのテキストあっちいったりこっちいったりで何か鬱陶しいな。


でまあ今はというと全裸で無駄にフル勃起でうさぎにエサやってたりするんで、案外今は今で首を吊りたくなるのも間違いないことでしょう。

ちょいと明日から里帰りしてきます。