くうちゅうくらげ

-A Boys Named No.28-

迷うことを楽しめるようになった時、迷いから開放される。

珍しくこのクソブログに反応してくださったkuri (id:kuri206)氏という方がいまして、いつもよりちょっとだけ訪問者数が増えて非常にありがたく感じております。毎度書きますが、仮にこのクソブログを見る人が1億人とかになったとしても0人になったとしても内容を変えるつもりはないです。なぜならばそれによって僕自身がいきなり変わることはないからです。それは僕がいきなりブラピになるのと大差ないです。あ、もう僕はブラピでした。まあブラピはさておき、とりあえず見ていただける人がいるということに関してはとても感謝しております。オナニーも人が見てる方が気持ちいいじゃないですか。いや違うか。


いつもと同じことから書きますが、世の中にはいろいろな人がいます。世界はわかんないですが、日本は1億数千万人の人がいるらしいです。昔社会の授業で習いました。んで、1億数千万人の人がいるんですけど、僕が直接関わらなきゃならないのでその中の数人です。家族や親戚、友達や職場の同僚や未来の恋人を合わせたらまあ多くて100人程度でしょう。日常で会話をするのは多くて10人くらいか。


僕はこのクソブログを宣伝してないですし、SNSとか嫌いなのでやってないですので、まあその直接関わる数十人ですら、このクソブログを見ません。そんで、今見たこともない人が数人ここを見に来てくれているわけであります。まあ数えきれるくらいです。


無駄に繰り返し書きますが、この数億いる世界の中で、日常で関わる人は多くて10人です。ブログを見に来る人は数えられる程度です。つまり僕の全てはそれしかいません。それしかいないのですが、まあ僕のことを知っている全ての人が僕のことが好きで一緒になんかやったりするのかといえば、そうではないです。なので、僕のことを好いてくれる人というのは、自分で云うのもおかしな話ですが、家族を除いてしまえば、ほんと指で数えられる程度です。数える指は必要ないかもしれません。


数億の中からその数人が選択されたのかどうかとか運命が云々とかは興味ないですし神のみぞ知るのでどうでもいいのですが、人生とは不思議なもんです。


僕は一応持論として、人は自分を精一杯理解してもらおうとがんばった時、それでも全く他人に理解されないというのは有り得ないと思っています。あ、理解されるというのは好き嫌いの話じゃないですので、理解した上で嫌いだ、というのも当然有り得ますが。


もちろん、全員に好かれるというのは難易度が高いですが、逆に全員に嫌われるというのも難易度が高いと思っています。会う人みんなにうんことか投げつけたら嫌われるかもしんないですけど、好かれようと思ってうんこ投げないだろ!いい加減にしろ!


落ち着きます。まあ、生まれつき嫌われやすい人もいます。例は僕です。生まれつき好かれやすい人もいます。例は僕以外です。うるさいだろ!いい加減にしろ!


落ち着きます。つまり、元来好かれる人ではない僕のことなので、今日常的に話す人というのは、わりとレアです。厳選された中でさらに厳選された人です。わかりやすく云うなればとても心の広い持ち主かスパルタの兵士ってところです。いや、スパルタの兵士も確か300はいたので、僕の場合それより少ないです。どうせ僕のことだから、ウィーアースパルタ!ってよりもアイアムスパルタ!とか云って、一人で敵に突っ込んで途中でずっこけて一兵卒に金玉のあたりから真っ二つにされてfin...というシュールな光景になるのは目に見えてます。かっこ悪いだろ!いい加減にしろ!

 

落ち着きます。早く落ち着け。結論を云うと「僕が今関わっている人は、生きていく上では絶対に大事にしなきゃならない存在」ということになります。


大事にすると今書きましたが、大事にするということに答えはないです。なにをすれば大事にしてるという具体例はないからです。女にシャネルの鞄を毎日買ってあげたらそれは大事にしているのかというとそうではないです。そうであった場合は逆に楽でいいと思います。いやがることを絶対にしないということが大事にしていることかというと、一見そのように思えますが、案外そうでもないです。いやがることが実は好きな人もいます。


まあ人ですから、心変わりはします。これは99%です。経験上では100%です。残りの1%はただの希望です。好きな人は変わりますし、趣味は変わります。顔も年齢と共に若干は変わりますし、金銭状況も変わります。それらの全てが変わってくるとその人自体が変わります。変わることがプラスかマイナスかは時と場合と客観視によるのでどうでもいいです。


なのでとりあえず「大事にする」というその行為は、ただの決断です。やるか、やらないか、とか、するか、しないか、の問題です。あとは相手に任せます。相手が人である以上は「絶対」はないです。


もし今僕が「大事にするとは何か」というQを与えられたとしたらAはこうです。「大事にしていくという想いの過程のこと」


結果は知りません。想ってればそれだけでいいのかと云われるとそうでもないです。人生は難しいので。だってこんなこと考えている時間があればあるほど良いのかと云われればかなり怪しいもんです。考えない人のほうがうまくいってるような気もします。


ここまでダラダラと書いて、結局なにが云いたいのかと云うと、とりあえず答えが出ないままだと悔しいので、そんなことを考えてましたって云いたいだけの自分語りでした。ご静聴ありがとうございました。