くうちゅうくらげ

-A Boys Named No.28-

思考回路の切断。

特に書くべきこともそんなにないのですけど、ある程度何か書いておかないと思考回路が固定できないので、なんか書いておきます。

今日はバイトでクソ疲れました。 朝の6時から夜の20時まで。これがここ数日は続くので、このままでは、死んでしまう。まあ死んだら死んだで別にいいんですけどね。

ここんとこぜんぜん楽しくないんですよねぇ。そんなこと云ったところで楽しくなれば世話ないですし、楽しくするのは自分なんで、どうだっていいんですけど、そういうところもひっくるめて楽しくないですねえという言葉しか出てこないです。だからといって、今までが楽しかったかと云われれば、それもそれでどうも怪しいもんです。昔から友人とはあまり話が合わなかったし、夜遊びしてるときが一番楽しかったかなあ、まあ得たものとか何にもないんですけどね。

 

事実、こうした記事とか書いてる時間とかも別段何の楽しみとかはなくて、誰かに見られてるって意識も記録もぜんぜんないんで、結局は自己満足でしかありません。とはいえ、自己満足も本腰入れるとますます自己嫌悪に移り変わってしまうので、それはそれで良くないと思います。まあでも、僕自身何かを書いてないと思考回路が固定できないので、自己満足という以前に必要悪みたいなものを感じてます。だからたぶん、ブログのアクセスカウンターとか0になってもとりあえず今のところはやめませんし、仮に間違って1億とか回っちゃっても、気が向いたときにはやめると思いますし、そういう感じです。

 

さっきまでIncubusとか聴きながらずっと考えていたんですけど、いったい何が楽しくて人って生きてるんでしょうかねえ。いや、楽しくない人は死ぬべきなんじゃねとかそういう意味じゃなくて、なんらかの楽しみがあって生きてる人ってそう多くないんじゃないかって思うからです。僕は僕の視点でしか物事を考えることができないので、もしかしたら自分以外の人はすごく楽しくて幸せなのかもしんないですけど。

 

そういえば、この間、部屋の掃除をしたんですけど、驚くことにモノ少ないなぁと思いました。あれは2年ほど前でしょうかね。はてなでテキストを投下してもうそろそろ4年になりますので、過去のテキストなんかあさると出てきそうですが、めんどくさいのでそれはスルーしておくとして。まあそのあたりの頃に、誰に教示されたわけでもなく、なんとなくモノを持つのが極端にイヤになってしまった時期があったんですよね。そんで、軽いネット自殺みたいなもので色々なSNSのアカウントを消してって、ついでに部屋にあったものほとんど捨てたんですよ。実際、その頃から増えたものなんてあんまりないので、わりと人間は、というか僕は必要最低限でも生きられるみたいです。

 

たとえば、今部屋にあるもので目立つものって云えば、ベッドと机とPCとPS3と、ここ数ヶ月で読んだ本とこれから読むべき本と映画のDVDとCDの段ボールが計5つと、申し訳程度の衣装ケースがいくつかって感じなんですが、実際これらのもんが全部なくなったとしても大して困らないんじゃないかなという心境です。

 

「僕は、なんもいらないんですよ」

16歳の頃にそんな気持ちになって、まあ18にもなれば消えるかなーって思って、18の頃には20になったらさすがに消えるだろとか思いながら24になっても消えてないので、たぶん40になっても消えていないだろうことは明白です。

 

まあ実際、仕事してる頃なんかは極端に「金があれば何でもできるんですよ」とか本気で思ってた。だから、残業に残業を重ねてだいぶ稼いできましたけど、いざ今金がないとなったらなったで、これが何故かどうにかなる。

 

じゃあ、本当に必要なものは何なのか。こういうクソくだらないこともずっと飽きずに考えてきたわけですけど、まあ結局は今の時点でも、昔から云ってるような「時代によって価値の変わるもの」は信じない方が良いってことです。じゃあ時代を経ても変わらないものは何なのかっていうと、それは愛でしかないんですよ。非常に残念なことに、愛しかない。んで、そうするとじゃあ愛って何なのかって話しになりますけど、別になんだっていいです。その人が愛と感じればそれでいいんですよ。だから僕は僕なりに愛を感じれば良いはずなんですが、これがどうも今になってもよくわからない。セックスが愛ならそれはそれで簡単だったんですけど、僕は実際何回もセックスしてきましたけど、愛なんてものはあれには見つからない。

 

じゃあなんだ。人を好きになることとか、必要とされることとか。もうめんどくさいんですよ、そのあたり。僕は自覚的には一応ひとりを除けば誰も愛せなかった人間なので、これは同時にひとりを除けば誰からも愛されなかったということになっています。

 

何度も何度も無駄に云いますが、僕はクソみたいな人生を生きているつもりでいます。それこそ僕以上のクソっぷりは他にないんじゃないかというくらいクソな人生を生きているつもりでいます。これはただ単純に「つもり」でいるだけなので、実際端から見たらもっとクソみたいな人生はいくらでもあると思います。特に僕の場合は知人に「幸せそうだなぁ」とよく云われますので、多分思ったよりもクソじゃないんでしょう。

 

昔から婆ちゃんによく云われてました。「レベルの高い争いをしなさい」と。まあ今はうんこの大きさ比べをしているようなもんですので、僕は婆ちゃんの期待を見事に裏切ったもんだと思います。婆ちゃんもまさか自分の孫がうんこの大きさを比べているとは信じたくないでしょう。

 

たとえばこの駄文なんかも云ってみたらうんこみたいなもんで、その日に溜まった排泄物を吐き出すというか、そんな程度のもんです。他の人もやたらと無駄に気取ったりしてますが、気取ったうんこと気取ってないうんこの質なんて似たようなもんです。世の中、大したことはないんですよ、ほんと。溜まったらうんこする。やりたくなったらセックスする。やるべきことなんてそんなことくらいです。

 

僕らみたいなブログ書いたり読んだりしちゃってる奴は、ただうんこをお披露目してるだけに過ぎないです。いわば公開うんこ大会です。どれが大きいか競ってるだけです。まあそれでも僕はうんこ見るのそんなに嫌いじゃないんで、僕も他の人もこれからもがんばってうんこお披露目してください。

 

酒に酔った勢いで意味不明なこと書きましたけど、もう25歳にもなろうとしているのにうんこうんこと連呼していること自体、むなしいものを感じます。僕は更にそんなに長く生きちゃいけない気がしてきます。