くうちゅうくらげ

-A Boys Named No.28-

無い人には無い。

僕はこれからするジャガイモの話で8月最初のホッテントリを狙う。

 

嘘です。

というかただでさえ、おすすめブログなんかに出てる時点で吐き気がして逃げたいというのにホッテントリなんて入ったとしたら、逃亡するかもしんない可能性が高いです。

スティーブ・マックイーン顔負けの大脱走です。

 

そんなのどうでもいいです。

さて今日は、努力について少し書きたいことを書いてみたいと思います。

 

努力ってやつは場所を間違えると、ただの無駄になります。

 

確かトルストイの人生論なんかで似たような話があったような気がしないでもないんですが、まあ要は海にクワ持ってってもしょうがないだろ的な話です。前に少し書いたんですが、目標が「ジャガイモの収穫」であった場合、畑で釣り竿をあげても意味がねえって話です。

 

努力について言い訳をするひとっていうのはこの土俵がよくわからないからだと思います。「なんであんなに必死に釣り竿あげたのに評価してくんないの」みたいな。

 

「ジャガイモの収穫」ってやつだって、いろいろあると思います。天候や気候などによって、ただ種植えて水あげるだけじゃ収穫できないところもあるかもしれないです。もちろん逆も然り、です。

 

僕も仕事してた時はそれなりに新人なんかの面倒見てたりしたんで少しはわかるんですけど。いろんな奴がいるんですよ。それこそずっと釣り竿持ってるやつもいるし、水あげすぎちゃうやつもいるし、畑じゃない場所に種をまくやつもいる。当然、要領よくテキパキとこなす奴もいれば、しっかりと管理してるのになぜか育たないですジャガイモってやつもいる。

 

だけどだいたい文句云うやつってのは、何度教えても釣り竿あげっぱのやつなんですよ。「私にはこうした収穫のやり方がある」とか勝手に云い始めるやつっていうのがいるんですよ。

 

そんなの企業にとっちゃ何にも為にならないんですよ。仕事ってある程度、水やりサボってもちゃんと美味しいジャガイモ収穫できるやつが評価されるじゃないですか。だって出荷できれば利益でるんで。

 

何度頑張ってもジャガイモ収穫できないやつには、やり方間違ってるんじゃない、とか水やりすぎなんじゃない、とか指導することはできる。

 

というか仕事ってのはそういうマニュアルがちゃんとあるからそれ通りにやっても無理なんだったら、マニュアルが間違ってるか気候などの要因で運悪く今回は収穫できなかったとかです。努力ってのは気候や天候が例年以上に悪いけど、それとは関係なく美味しいジャガイモを作るためにがんばるっていうのが努力です。

 

一番の強敵は「この水のやり方で間違ってない」とか「畑では釣り竿をあげるべきだ」とか勝手にマニュアルを改編して何度も何度も失敗を繰り返すやつです。前者の場合はなんとか水やりのやり方を理解してもらう努力ってのはできるし、理解してもらえればなんとなく要領つかんだりしてくれる。だけど後者はというと、そもそもなんだかよくわからないので、仕方なくクビにする。そうすると喚く。

 

いや、最低限をした上でのオリジナリティっていうのはいいんですよ。

マニュアル以上に水やったらものすごく美味しいジャガイモできちゃいました、とかそういうミラクルもあるのかもしんないですし。

 

でもマニュアルがある以上はそれに沿ってやっていただくべきで、人並みのジャガイモが完成してから試行錯誤していくのが当然のことだと思うんです。いつも美味しいジャガイモを作ってるやつが、たまにオリジナリティを出して失敗しちゃったらそりゃしょうがないです。努力は認める、って形になると思います。

 

でもそういう人って言い訳は絶対しないんですよ。「美味しいものが作れると思って、いつもより多くの水をあげちゃいました、すいません」って素直に云う人が多い。

 

まあこれらはあくまで僕が働いてきた上での印象なんで、ほかの場所のことはなんともいえませんけどね。僕の場合はちょっと特殊な仕事でもありましたし。

 

仕事がつまんない人って、いろいろいると思うんです。ジャガイモの栽培自体がつまんねえって人もいれば、釣り竿あげてジャガイモ釣れないからつまんねえって人もいる。後者の場合はもうどうしようもない。なんかもうこういう人が仕事がねえとかいっても仕方ないとすら思う。

 

だから僕は努力すれば認められるってことは断言しません。努力はしかるべき場所でしかるべき方法でやった場合にのみ、認められる可能性が高い。ということは云えると思います。

 

もちろんしかるべき場所でしかるべき方法でやっても、認められない人もいるという事情がある以上は、その企業の方をなんとかしましょうって話でしかなくなるわけですが。

 

だけど僕の雑感では、経験上、畑で釣り竿をあげるという意味不明な奴に限ってゴネているんじゃないかと思っているので「本当に認められない」は本当なのか、という懸念があります。

 

畑で釣り竿あげてるやつが、たまに水やりサボるけどちゃんと収穫できる奴に相手取って「あいつはサボってるのに、なんで俺は評価してくんないのか」みたいなものを何度か目の当たりにしてきたので。そういう人に「あいつはちゃんと収穫できてるんだよ」って教えてあげてもてんで意味ない。だからこそクビにせざるを得ない。

 

世の中、仕事ねえ、仕事ねえとか騒ぐけど、ほんとにないのかな。なんか何処でもバイトとか社員とか足りてない印象だけど。(あくまで印象)水あげないでもジャガイモが育つ畑とか釣り竿でジャガイモが釣れる畑とかあるはずないし、そんなところで働きたいとか思うが故に「ない」とか云ってるだけじゃないのかなあと思う。

 

というか企業も、水をあげる方法すらわからない社員よりも水あげてくれるバイトを雇いたいという気持ちはわかる。

 

まあもちろん全員がジャガイモを育てれば幸せなのかというとそうじゃないと思うので、そういう意味でも「仕事ない」のかもしんない。

 

だけど、自分の努力だけが認められて、自分だけが楽できて、自分だけが幸せなだけで成り立つ仕事っていうのは、たぶんない。いや、あるのかもしんないけど。努力だけしても、ジャガイモが全く収穫できない畑っていうのもたぶん必要ない。

 

なんていうのかな。こういうのって、生活保護でパチンコ行く人とかタバコ吸う人とか見てるとなおさら思うんだけど、「ない」人って「なくべくしてない」んじゃないかなあと思う。不正受給とかもってのほかだけど、ある意味ふつうに働いてふつうに税金払ってる人がこういうところに持ってかれるってのはなんか凄いおかしい気がする。良く国民も怒らないもんだな、怒ってるのかもしんないけど。

 

まあ僕自身がこれから実際に仕事とかにすごく苦労したら意見変わるのかもしんないけど、今の段階だと「ない」人には当然のように「ない」だけの話でしかないと思いました。これこそ自己責任の範疇ではなかろうかと。

 

以上、ジャガイモと努力と仕事の話でした。僕はジャガイモの話がほんとうに好きですね。