くうちゅうくらげ

-A Boys Named No.28-

それは出会いとか別れにも順ずるもの。

時間がなくて推敲できていないけれど投下しておく。

2011/4/1(みかんぱさん(id:mikanpa))

誰にも聞いてもらえない。正しくは、誰にも聞いてもらえなくてもいいし、聞いてほしくもない。いや、それもこんな場所に書いている時点で100%正しいものでもないか。ただし、この感情をここに記し、未来の僕だけに預けることにしたという選択そのものには嘘偽りは含まれていない。そのことだけは真実と言える気がする。

以前も引用したことはあったような気もしないでもないけど。
僕はこう云ったものが好きだ。
なぜならばものすごくシンプルに云うと自分も同じように感じるような人間だから。
それと、やっぱりこれが今日書かれたものだとしたらまた違う感情を持っただろうから。
これが、2011年4月1日に書かれたものだから。
やっぱり誰も云わないだろうから。
少なくとも、「口から」は出てこない言葉であるだろうから。
僕はだから「書いて」いるんだろうと思ったんだよ。
時には、言葉は本当に便利なもので、それらはひねくれだとか云われてしまうのかもしれないけれど、これでいいんだと思ったんだよ。
世の中で正しいと云い切れるのは今のところ、こういうことだけだね。

最近の僕は、どうも上手い言葉が浮かばないなあとは思っていた。
それで僕も彼の真似をして「過去の回収」ってやつをやってみたんだけど、やっぱりあるんだよね。
しかも、自分が考えてもみなかった場所に。

「リゲルの感情」(ある日のこどもうたより)

実際の僕は
立ち上がっただけで
一歩も動いてはいなかった

からしてみたら
君の云う言葉はすべて
どうでもいいことのように
思えたんだ
だけど
とても大事な
言葉だったんだね
僕がそうだったように
不思議だね

これらは昔ノートだったり以前のPCのデスクトップ上にあったものを書きなぐっただけのものだけど、例えばこういうところから、僕が本当に云いたいことはやっぱりシンプルなことなんだろうなって実感するよ。
今でこそ、云えなくなってしまったこと。
伝えたくて伝えられなかったこと。
「過去」に置き忘れたものは、その「純粋さ」だったりだとか「無垢な心」だったりだとか。
僕がそういうものに人一倍の憧れと憎悪を感じるのはそういうところなんだろうな。
―それは僕にはなかったものであり、今後も手に入らないものであろうから

まあこんなことを実感するために、またそれらを実感しないために、「書いていく」ということ。
やっぱり僕にとって、そういうことは自分を守る鎧のようなものなのだと思う。
仮面とも云う。
小さくて愚かな人間だからこそ、言葉で「取り繕う」必要があったんだな。
だけど、なにはともあれその弁えは何度も自分の足を支えてきた。

『自分を良く語る人間こそ、自分の本性を隠している』そういう言葉もふと思い出したよ。
まあ、知られたくないんだよな。
でも、知られたい。
その矛盾。
例えば物書き(ブログ書き)しかもこういう文章を書いている人にとってみたら、本来の意味でも「別に知られなくてもいいんですよ」は通用しないと思うんですよ。
だって書いているんだから、自分のこと。
しかも自分のこと「だけ」ですからね。

僕はなんというか、書きたいものをそのまま書いてきて、誰かに見せるようなものは何一つないと自分でも云い切れるけれど、それでもこの“自分のため”が文字通り自分を救うことを実感して、嬉しい気持ちになっている。
そしてその嬉しさに関しても、誰かと共有できるものではないだろうから。
僕は独りなんだろうな。
独りでいるということは中々難しいことで、気が緩んだらすぐに懐柔されてしまうものだから、なんとか自分で作り上げていかないと。

あくまで約束ではなく、決意として今ここで残しておきたいものは。
近所の老人の話でも、喫茶店で美味かったコーヒーのことでも、好きな女の子のことでも。楽しくても辛くても哀しくても苦しくても嘘でも本当でも。
書いていきたいと、
書いて生きたいと、
まあつまりそんなくだらないこと。