くうちゅうくらげ

-A Boys Named No.28-

いっつのっとみー、いっつのっとゆー。

「~は~すべきである」だとか、「~ならば~したほうが良いんじゃないだろうか」っていう話が好きじゃない、という話をするのは中学生くらいで卒業しておきたいものでもあるのですが、「~すべきというのは良くない」と云いきるのは、「~すべきというのは良くない」というのも「~すべきというのは良くないと思うようにするべき」と云っているのと変わらないのではないかというニーチェ顔負けの頭の悪い思考を引きずっているのです。


頭が悪すぎて自分でもなにが云いたいのかわからないのですが、極論を云うと世の中に云い切れるってことはないんじゃないだろうかと思います。でもそんな屁理屈ばかり云っていると誰にもなんにも云えなくなってしまいますので時にはむちゃくちゃでもいいから多少を敵に回してでも云い切れることって大事なんかじゃないかと思うのです。


なにが云いたいのかっていうと、結局はおまえがおまえのやりたいなりにやればいいし、おれはおれのやりたい通りにやるからねって云うだけの話であって、それをわざわざ文章化する必要はないと思うんです。


「~すべきである」に反抗する人って本当は「~すべきです」って云って欲しいんじゃないの、って思ったりしますし、「ぼくは他人に興味がない」って云う人に限ってその裏に興味ありありなアレが見えたりして、それはそれで別になんてことはないんですが、ちょっと気味の悪い感情だったりするじゃないですか、そういのって。わざわざ云うことじゃないよってさ。そんなの好きな人に「別におまえのことなんて好きじゃないからね?」ってわざわざ云うアレと同じじゃないですか。本当に嫌いならわざわざそんなこと云わないじゃないですか。


だから僕はそういうことに関してわざわざ頭良さげに理論めいて説明する、文章化するもんじゃないと思うんですよ。思うだけなんですけどね。だってそんなの理論とかより前に身体が反応しちゃうじゃないですか。


で、そんなことばかり云ってると、他人に何も云えなくなるよねって話なんです。そう、世の中にはきっと敵が必要なんです。何もないってのは寂しいからねえ。


でも僕は漠然となんですけど、「はらへった」とか「ちんこかゆい」とか、そういうくだらないことのほうが真意だと思うんです。なんの知性のかけらもないですけど、そういう真意を変な理詰めで解決しようとするからややこしくなるんです。そしてここの理詰めの部分というか仲介している部分のことを商売といいます。ここに金が発生します。なんだ、好きなら好きと云えばいいし、嫌いなら嫌いなんです、それだけなんです。


ということを、自分の為に書いておきます。ただ思いついただけだけど。


ちんこかゆい。