くうちゅうくらげ

-A Boys Named No.28-

自分劇場。

僕は他人に興味を持たない代わりに、ものすごく自分に興味を持っているような気がしました。というか、テキストの99%が自分のことしか書いていない時点で、勝手にそういうことになっているんだということです。

 

「人のことを考えない」「優しさがない」とよく云われるのは、人のことってやつも優しさってやつがよくわからないからです。

 

なんでわからないのかというと、優しさについての記述はよくしていますが、この優しさってやつは千差万別だからです。人のことってやつも、他人である以上は千差万別で、全員が僕ってわけじゃないからです。

 

つまり、僕は僕にしかわかり得ないし、AさんのことはAさんにしかわからないはずです。そしてそのAさんのことはAさんが考えるべきで、僕が考えるわけには参りません。こういう詭弁ってのはすべて「事なかれ主義」ってやつだと思いました。

 

干渉されるのは嫌いです。それと同時に干渉するのも同じくらい嫌いです。だけど世の中はこんな奴でも「おまえもまあ幸せで、俺もまあ幸せ」というくらいの適度な立ち位置でいられるっていう人は、そんなに多くいないと思います。そう思える人がたくさんいる人は、なんかとんでもなく聖人であるか、とんでもなく無理しているかのどっちかだと思いました。

 

で、世の中が僕みたいなので溢れると一気に大変なことになると思います。だけど大変なことにならないのは、世の中は僕よりも頭の良い人と悪い人で構成されているからです。

 

なんというか、世の中には善意がなければ悪意もないんですよね。あたりまえのことなんですけど。世の中は良いことで溢れているわけではありませんし、同時に悪いことで溢れているわけでもありません。

 

いじめとかその一点をとっても「するほうが悪い」人と「される方が悪い」人って意見の人が当然いて、死刑をとっても「賛成」と「反対」がたくさんいる世の中です。これはすべてが同じ意見になったらそれはそれで恐ろしいんじゃないかと思ったりするもんです。

 

色々と考えると僕ってやつはクソだと思いました。

なんで僕がクソかというと、僕はいじめされてないからどっちでもいいし死刑になることもないだろうからどっちでもいいというスタンスだからです。上述のとおり、干渉するのもされるのも嫌だからです。だから僕の意見は「どっちでもいいんじゃね」です。

 

クソです。この考えは実にクソです。だけどこんなクソは世の中にたくさんいないから世の中はクソじゃないってことになっています。

 

僕みたいなクソは「おまえがそう思うならそうなんじゃね」と平気で云います。なんたるクソっぷりかと思うかもしれませんが、事実、そうです。そしてこういうクソなことを平気でいうクソは「おまえのことなんかどうでもいいんじゃね」と云ってるだけに過ぎないです。さらに云い換えれば「おまえのことなんて俺には関係ないし」です。

 

んで、僕みたいなクソが世の中にどのくらいいるのかというとわかりませんが、そんなクソでも自分のフィールドは大事にしておくべきだと思いました。スタンスはハッキリとしておくほうがいいと思います。

 

たとえば僕が思うには自分と直接関わりのない100万人にクソって云われるよりも、直接関わる100人程度にあいつは案外クソじゃないって云われるほうがいいような気がするからです。遠い世界の話は知りません。今ここにいる自分だけがすべてです。

 

今ここにいる自分だけがすべてだと思う人ですべてになったら、たぶんそんなに悪い世の中じゃないような気がします。

 

自分の守りたいものは守ります。どうでもいいものは捨てます。その集合体が世の中です。奪う人もいます。奪われる人もいます。全部守るのも全部捨てるのも全部奪うのも全部奪われるのも無理です。

 

干渉することが善とも悪とも云いません。ただ、世の中は自分が善だと思っていることが善だというスタンスを取ります。だから世界は僕のものです。僕にとって善いことはすべて善いことです。この、僕にとって善いことが他人にとって善くなって、それで数えられるほどの周りの大事な人間を不自由させないのなら、それはそれで願ったり叶ったりだと思います。

 

そしてそれとは逆に、僕にとっての善が周りの人々にとって悪になった場合は、それは僕にとって生きやすい世の中になるはずがないとわかっている以上、僕は犯罪とかしないんだと思いました。こういうのを理性っていいます。

 

全部善いっていうのはただの偽善だと思います。だけど全部悪いっていうほど絶望するつもりもありません。「生きるほど生きたくないし死ぬほど死にたくない」です。

 

この中途半端さによって宙づりになりながら「事なかれ主義」を続けるのなら、人生はローリスクローリターンです。だからといって、ハイリスクハイリターンに首を突っ込むほど度胸がない以上、世の中のほとんどの人は何のために生きてるのかわからず何のために死んだのかもわからず、最初から最期まで中途半端になるような気がしました。

 

だから僕はどうしたいのかってことをここで云うつもりもありません。何が書きたかったのかもうわかりません。

 

ただなんとなく「自分のフィールド」だけは守ればいいんじゃないの、って話です。そのフィールドが広い人もいればものすごく狭い人もいると思います。でも部屋が広ければ快適かと云われるとそんなこともないような気がします。僕は20畳より4畳半が好きです。

 

「人それぞれ」もいいんですけど、それってたぶんそれだけ「興味がない」ってことだと思います。「みんな良くてみんないい」ってやつはたぶん「みんなどうでもいい」ってことです。

 

だからといってそれについて吠えるつもりはあんまありません。どうでもいいからです。これこそ正に宙づりです。