くうちゅうくらげ

-A Boys Named No.28-

テーマが決まりません。

家に帰っていつものようにパソコンを起動して、思ったよりも時間が余ったのでデスクトップの掃除でもしようと思ったのだがあることに気が付いた。僕のパソコンのデスクトップは「新しいフォルダ」が数え切れないほどある上に「あ」とか「B」とか「ちんこ」とかのフォルダ名もやたらに多い。

 

いい大人なんだからそういうのはやめようと思った。「とりあえず後で変更するしちんこでいいかー」というのはこれからは控えたい。なぜならば次また同じことを思ったときに「ちんこ(1)」になってどんどん増えていくのはあまりよくないと思ったからだ。で、肝心のツールはどこに入ってたっけ。

 

話は猛烈な勢いで変わるのだが、部屋を掃除しない人のテレビを見ていた。ああいう類の番組は良く見るのだけど、前からなぜ部屋があんなに汚れるのかが全く理解できない。そもそも物を買わなければあんなに汚れることはないと思う。僕の部屋にあるのは布団と本とPCとテレビと洋服だけだ。

 

人間に必要なものなんて限られているのだし、昔と違って今はエロビデオがデータに変わっているのだから、かさばることもないだろう。どうでもいいことだが、もし未だにエロビデオが普及している時代だったら僕の部屋も大変なことになっているはずだ。とりあえずゴミは捨てろ。

 

最近、人と話していると、所詮人間ってやつは偶像で作られたものなんだなあと思った。ここからは僕が可愛い15歳だと思って話を聞いてほしい。オカルトや宗教なんかもそうだけど「信じた瞬間に」価値が表れる。単純に云えば、僕にとって大事なものがAさんにとって大事なものかというとそうではないということだ。だから人はわかり得ない。僕は一萬がほしいのに、Aさんは中が欲しいといった具合に。そんなとき、僕はAさんの心理をわかり得ないのと一緒だ。だから簡単に大三元とかで上がられるのだ。やってられねえ。

 

僕が可愛い15歳だとして、実際は24歳の僕は考える。前提からおかしいかもしれないが、もしかしたら僕は誰かの頭の中のイメージなのかもしれない。こういうくだらないことはそれこそ小さな頃から考えているのだけど、もしそうなのだとしたら案外死ぬのも悪くねえかなと思ったりする。

 

そう思ったりすると可愛い女の子に「良く云えばファンタジー、悪く云えばキモい、あなたの場合はキモい」と満遍なく云われるのだが思ってしまったものは仕方ない。これもすべて偶像で、結局のところは小さな頃からの教育で「人間はイメージされたものです」と、そう教えられていたのなら僕は至極真っ当ということになるだろう。そして至極真っ当だとどうなるかというと、別にどうにもなんない。

 

話が飛びすぎて何が云いたいのか全くわからなくなったのは酒のせいじゃなくて、書くことを中断していたせいだと思いたい。これからはせめてテーマを決めてから書こうね。