くうちゅうくらげ

-A Boys Named No.28-

地球は廻り、月は巡る。

時計の進みが早い。もしかしたら僕の時間だけ早いのかもしれない。もうそろそろ12月になろうとしている。半ニートみたいな生活を始めてから9ヶ月も経とうとしているのだが、まあなんとかなるもんだな。今年は税金がきつくてもなんとかなっているのだから、来年税金がこなくなるということを考えると、世の中いざいろいろとあきらめてしまえばイージーモードな気がする。まだ24歳だからそう思えるだけでこれが50歳だったら話は違うのだろうけど、まあ人生は今しかないわけだから。と、自分の悲惨な人生に言い訳をするのもどうかと思う。

 

話は変わるが、この間、懲りずにはるばる長野は上田というところまで友人の結婚式にお呼ばれして行ってきた。ここのところ学生時代の同級生の結婚が後を絶たない。どいつもこいつも結婚なんて自ら死地に赴くようなもので、馬鹿も休み休みしろと云いたいところだが、冗談抜きにまあまあ幸せそうだったのでがんばってくれと云っておこう。

 

それにしても、結婚するともなるとまあまあ大人だ。15歳くらいのときから、聴いている音楽も電車で腹を下す頻度も大して変わっていない僕からすると、自分があの場所に立つというのも想像しがたい。やっぱり僕の時計と奴らの時計の進み具合は同じじゃないんじゃないか。だけどたぶん人間っていうのはひょんなことや何かのきっかけでいきなり覚醒してさあ今から遂に僕は大人になりましたって人はそんなにいないと思うので、日々の積み重ねがだんだん人を大人って奴にしていくのだろう。そう考えると15歳くらいのときから大してなにも変わっていない僕はというと・・・。僕は中学生ではないので大人っていったいなんなんだって話は置いておくことにする。

 

そういえばよく考えるとうちのかあちゃんなんかも今の僕くらいの年齢の時には兄貴がいたわけで、そう考えるとなんだかなあと思う。あくまで感覚的な問題ではあるが、かあちゃんないし、特に親父の方はすげえ大人に見えた。そりゃ自分が小さすぎるのもあったとは思うのだが、それにしても大人だったような気がする。大人というのはああいうもんだと思った気がする。そこらへんのガキに僕が大人に見えているとしたらアレなんだが、まあとにかく大人だった気がする。なにが云いたいのかだんだんよくわからなくなってきたので、いいちこでも飲んで寝ることにする。

 

12月の試験に落ちたら、来年から心機一転、牧場にでも就職しようかと思う。