くうちゅうくらげ

-A Boys Named No.28-

贖罪の行為にしろ、雨の日々にしろ、誰が責めを負うんだよ。

そういえば仕事をしていたときは、日々なにを考えていたんだろう。もちろん過去のテキストとかを漁ればそれなりにわかりそうなもんだけど、感覚的に思い出せないというのはなんだか気持ち悪いものだ。

 

つまり人は(僕は)たぶんどこでなにをしていても同じことばかり考えるような気がする。仕事だって恋だってしてたらしてたで、してなかったらしてなかった、だ。

 

人生は無常だ。がんばりたくない。疲れた。と思うものの、いったい僕はなにに疲れているというのだろうか。何にも疲れていないはずで、どんなストレスもないはずだ。空回りしている。早く終わりにしたいな。とまあ極限まで精神的に疲れ始めるとどうせ僕のことだからクソくだらないポエムめいた気持ち悪いものを生産し始めるので、まあ適度にクソみたいな生活を送っておこう。どうせ今のうちだ。

 

なんだろう。過去が輝いているというよりも過去は必然的に、というか勝手に輝くものなんだということを理解してから、たとえば今の僕の半ニート期間も、過去になれば輝くのは明白なわけである。だから特に焦らずに毎日がんばろうと思う。何をがんばるのかもよくわからないが、とりあえずがんばろうと思う。とりあえず人様のテキストを見に行く努力くらいしようと思う。そうしたら何か産まれるのかもしれない。お尻からペンギンとか産まれるかもしんない。

 

その昔、目の細いどっかのスポーツマンが「自信が確信に変わりました」という名言を云ったような気がしないでもないのだけど、世の中には自信が確信に変わるようなスーパーマンと、僕のように今にも「不安が絶望に変わりました」と死に目で云いきれるような人生を送るバイキンマンの両極端なわけだ。それだけは避けたい。そもそも避けようと思えばいくらでも避けられるわけで、避けられなかったらそれは自分のせいでしかないのだけど。

 

野球のまーくんとか同い年なのだけど、メジャーで数100億稼げる人間と年間130万円以下で税金も来ないという人間がいるというのは理解しがたい。そもそも24歳にもなって年収100万円以下なんて理解しがたいし、想像もできない。そんなクズがいるのなら、親の代から消えてなくなってしまえばいいと思う。そのくらい理解しがたいが鏡を見たら目の前にいた。僕だ。世の中は平等じゃなかったのか。平等じゃないに決まってんだろバカ。

 

と、まあ、シリアで爆撃があって何千人という死者がでて、明日生きていられるかわからないという人生を送る人がたくさんいる。いっぽうそのころ、いきつけのAV販売サイトで今日はどのAV女優で抜こうか必死に模索している24歳がいる。その時点で人生は平等じゃない。僕のことじゃないけど。

 

僕のオナニーはたくさんの死者の上に成り立っている。そして僕のオナニーの上にたくさんの成功者たちがいる。

 

うーんたまにはかっこいいテキスト書きたいけど、なんかまじめになりきれない。